月を旅路の友として

大学生です。よろしくお願いします。旅行記を書いていこうと思っています。時々更新(予定)。

はじめてアニクラに行った話

 この世に生を賜って二十年、振り返ってみればお陰様でずいぶん健康に暮らしてきた。骨折したこともないし、体は弱いが病院のお世話になったことは人並み以下のはずである。入院経験もない。羅った病気といえば、中二病とコミュニケーション障害ぐらいである。しかしこれが大病であって未だに治る気配がない。もっとも、リハビリはしていない。

 そういうわけで、人より友達の少ない生涯を過ごしている。その中でDという同級生は、潮風の吹く海辺の公立高校で出会った、僕の数少ない親友と呼べる人間である。高校一年生の頃から妙に古臭いネタがなぜだか通じ、溜まり場だった部室でスマブラをしたり、僕が部室を汚したり彼女イキリをしたら本気で叱咤し、大ポカをやらかせば力を貸し励ましてくれる、器用で正しい目を持った友人だった。本人の弁だったかは覚えてないが、「爪を隠したまま死ぬ能ある鷹」というのは正しい評だと思う。浪人中に寂しい思いをしたときも、一足先に大学生になった彼が一緒にご飯を食べに行ってくれたりしたのに救われた思い出もある。それから僕が一年の浪人を経て東大に合格したころ、Dは、DJになっていた。

 

話は三十度変わるが、世の中にはアニクラというものがある。アニクラのアニとはアニメソングのアニで、クラとはクラブのことだそうだ。つまり早い話が、アニソンばかり流れるクラブイベントという理解で間違ってはいないと思う。普段は薄埃を被った邦楽しか聴かない僕にとって、アニソンは決して馴染みの深いジャンルとは言えない。だが9月14日に開催されたアニクラにてDがDJデビューを果たすというのであれば、見に行く以外の選択肢があったというのだろうか。

 

2019/09/14

 

 この日の朝は山形県の米沢にいた。免許合宿最終日の十七日目、晴れて卒業検定に合格した僕は昼の山形新幹線に乗って会場の新宿へ急行した。小滝橋通りのラーメン二郎の隣にある会場まで南口から徒歩10分、合流した高校時代の後輩二名(彼らもまた、先輩にあたるDの晴れ舞台を冷やかしに来た訳だが、僕よりよほどアニソンには詳しいと見える)を引き連れドアを開いた。料金と引き換えにリストバンドとドリンクチケットが手渡される。黒のボードにイベント名が記され、その下にDのハンドルネームが綴られる奇妙な光景をしてなお実感が湧かなかったが、薄暗いフロアに漂う煙草の香り、その中に流れる爆音の女児向けアニメのOPを聴いてから、ヤバいところに来てしまったな、と思った。気づくのが、遅すぎた。

 

 後輩もそうだが、高校の先輩も来場していた。一人は麻先輩と仮称するが、高校時代は専ら虫を食っていた気がするがいつの間にか国内で合法なお茶を喫っているとかの噂を聞いたと思いきや今は世界一周しているが一時帰国中という忙しい人である。海外放浪のせいか髭が立派に蓄えられて某サッカー日本代表みたいになっていたものの、旅行中はカザフスタン人と間違えられたらしい。

 もう一人はエスファハーン先輩と仮称するが、社会人である。高校の先輩という扱いになっているが在学期間は一日たりとも被ったことがないため俗に「インターネット先輩」などという不名誉な称号で呼ばれているものの後輩思いな先輩で、後輩に奢らないと気が済まないのか食事前に財布を出すと「先輩に恥をかかすつもりか?」などと大声で恐喝してくる。家にも何度かお邪魔したことがあるが、その度に執拗に推しカプの同人誌を幼い子が寝る前のお母さんの読み聞かせばりに押し付けてくる正しいオタクだ。僕の浪人中には予備校裏の公園で勝手に飲酒してブランコから靴飛ばし大会を開催、強制参加させてきたのが最後に会った記憶である。ちなみに見た目が若い頃の張作霖に似ている。

 他にも多数の同期やインターネット知り合いが来場しており、同窓会ムードの一角がフロアに形成され、そこに僕も溜まることとなった。

 アニクラについての基礎知識が欠落したまま参加したので、Dや麻先輩からのチュートリアル説明を挟みつつ観察をする。まず、前方のDJがアニソンを流す。大抵アップテンポで、流し聞きしても爽快な曲であることが多い。プロジェクターを使ってその曲にマッチした映像が流れる(大抵はライブの映像かアニメのOPである)。曲のイントロや歌い出しに反応した、その曲に思い入れのあるオタクがDJブースの真ん前に突っ走ってくる。その際、「キタキタキタキタ」という言葉が発されることがあるが数として非常に多く、恐らく「今日はいい天気ですね」とか「一万円入ります」ぐらいの意味合いだと思われる。 そうやって突進してきた何人かのオタクは思い思いの行動をとるが、基本パターンのような行動もあることに気付く。まず、DJに向かって人差し指を突き出し、「お前お前お前お前!!!!!」と連呼するもの。明らかに喧嘩を売る動作にしか見えないのだが、一応選曲を褒めるものだと思う。その証拠に、亜種としてDJに「偉い!!!!!」と絶叫する人達もいた。この後AメロBメロと大体は飛び跳ねたり腕を振ったりと、いわゆる「ノる」動作に関しては好きな音楽の前で取る一般的行為がされるが、時折どうしようもなくなって地面に頭を抱えながらうずくまるオタク達がおり、子宮の中の赤ちゃんが暴れまわってるぐらいの体勢のイメージとなる。このような地獄絵図が繰り広げられ、サビに入る。その直前に時折「イエッタイガー」なる呪文が大勢のオタクにより絶叫される曲があることに気づくが、多分祝詞の一種だろう。オタ芸も打たれる時があるが、神前で舞踊を捧げるのは古来より伝統的な文化なのでそういうことなのだろう。「好き」という歌詞に反応して「俺゛も゛!!!!」という最悪の合いの手が入り、明らかに女児向けのアニメの映像に向かって真剣な眼差しで「行゛か゛な゛い゛で゛!!!!!」とか絶叫もする。まず突進のスピードがおかしい。横断歩道三割ぐらい渡ったタイミングで赤信号になっちゃった時か?オタク同士が「分かり合った」顔で握手してたりもする。先輩はマリオ64三段跳びみたいなジャンプしてた。そして曲が終わるとオタクは散っていく。それからDJがミックスして新しい曲をかけるとまた新たなオタクが突進してくる。Dは「これの繰り返しだよ」と言った。なるほど、自分の好きなタイミングで突入し自然な出撃ローテーションを組むことで体力を温存する合理的なやり方だが、如何せん片道分しか燃料を積まない特攻隊兵しかいないのでブース前は常に重厚な爆撃が繰り返されている。

 分かってはいたことだが、ズブの素人なので曲はほとんど分からない。でもノる(オタクはこれが極まるのを高まると呼ぶらしい)ためのラインナップが敷かれているので、いるだけでなんとなく気分が上がっていく不思議な空間である。麻先輩の土産話や友達と談笑しながら音を浴びる感覚、それだけで心地よくなれる。DのDJ姿は、結構さまになっていたと思う。細い首に巻いたヘッドホンはいかにもという感じだし、肝心の音の方も、多くのオタクを惹きつけていた。惹きつけられたかどうかは、横から見ていると運動量で分かる。

 とか傍観していたら、次第に知っている曲がぽつぽつと流れ始めた。僕が知っているだけあって流石に有名タイトルのテーマ曲だが、知っている曲が流れると異常な行動を起こす。まず、知らんうちに飛び跳ねている。腕が意思と関係なく振り回される。隣の知らないオタクと何かを共有している気がする。DJに「ありがとう」って言いたくなる。口が何かを叫びたくてたまらない。人をバケモノと思える人は、自分もバケモノになる。気がつけば僕は獣物の群れに入った小さな獣と化していた。十曲に一曲程度のローペースだが、何かが僕を動かし始めた。

 気がつけば既に入場から三、四時間経過していた。誰かが時計の針をいたずらに進めたのではないかと思うほど早い流れは、高いBPMと気分の良さが生み出したものだろうか。ドリンクで喉の渇きを潤していると、耳がある音を受信し体を動かした。らき☆すたのキャラソン随一の名曲、寝・逃・げでリセット!だった。中学時代といえばまだ室町時代南北朝が争ってた頃だと思うが、とりあえず名作っぽいアニメでも見てみるか……という浅はかな考えで見たらき☆すた(本放送は現在から12年前)にハマってキャラソンまで聞いてたわけで(聖地巡礼までしたのはナイショだ)この曲を知っていたのだが、その思い出補正がかかって僕はエスファハーンと共に骨髄以前の反射で最前へ飛び出した。七年前の記憶を引っさげながら跳躍していた。隣のエスファハーンとずっと「ヤバい!!!!!!」とか叫んでいた。本当にヤバいのは、僕たちだった。

 二十時三十分の解散の後、適当にファミレスを食べて解散し、缶コーヒーを飲みながら夜の山手線ホームで電車を待った。足腰が痛いし、疲労困憊だ。でもそれ以上に、好きな曲を最高の形で聴けるというのは、良い体験だと思う。一体どんなものなのかわからないまま参加したにしては楽しめたのではないか、と振り返る。ただ、帰り際に同級生が一様に「俺もDJ始めてえな」とamazonでDJグッズを漁り始めたのを見て、成人式に行きたくなくなりました。