月を旅路の友として

大学生です。旅行記と、140字じゃ収まらないネタと、色々。

有限の正月とマチュピチュについて

 死ぬまでに見たい絶景、という謳い文句が世の中に氾濫している。そのどれもが既知の景色か、初見であったとて綺麗だなという感想のうちに終わるものばかりであり、私の心の針を動かすようなものは殆ど無い。まあ少しは行きたいと思ってリストに留めるはいいが、死ぬまでに、とは大袈裟だ。

 

 ただ唯一の例外はマチュピチュである。行ってみたい見てみたい、という気持ちが自分ではわからないほどに強いのか、あるいは地球の反対という場所性なのか、古代インカの高原の遺跡がテレビで取り上げられる時、それがどのような形であれ、不思議と「死ぬまでに、ここに行けるだろうか」という気持ちが湧き上がり抑えられなくなる。これはもう脳に刷り込まれたもので、廃墟と化した空中都市を見かけると必ず、死ぬまでに……、と考えてしまう。

 

 それと似た思い込みをしてしまっているのが、正月である。年末年始の興奮したようで静まり返った街の雰囲気だとかはどことなく好きなのだが、それを味わっているうちに心のどこかで、人生で後この特別な数日間を過ごせるのは高々六十回、と考えてしまうのをかれこれ数年ぐらい続けている。それは帰省をしなくなったあたりからかもしれない。家で寝転がってテレビばかり見ているとそんなことしか考えつかない訳だ。

 

 どうせ今年も寝正月に終わるくらいであればと、私は旅に出ることにした。行き先はこれから決めよう。雪が見たい。出来れば北の方がいい。遠すぎない方が気楽だろう。そんなことを考えながらグーグルマップを遊覧飛行していると、ある場所が目に留まった。別所温泉。たまには一泊二日圏内で静かに温泉に浸かるだけの旅行も悪く無いなと思い即決したが、数ある温泉の中でもここを選んだのは、恐らく祖母が好きだと言っていたような気がする微かな記憶のせいだと思う。

 

 旅支度を進めていると、当然のように親にどこに行くのかと聞かれる。今日は一月一日だから尚更である。正月早々何処かへ出かける馬鹿息子の行先を尋ねるのは至極真っ当なことだから、素直に別所温泉に行くと伝えた。ほら、お祖母ちゃん好きだったんでしょ、そこ、と言うと、違う、と言われた。

「ずっと行きたかったけど、行けなかったのよ」

そう言われてから、正月の残り回数とマチュピチュ遺跡のことを、新幹線を上田で降りるまでまた考えていた。

 

 思い起こせば、帰省をしなくなって家でお正月に鬱状態になるいわゆるお正鬱を過ごしていたから元日残りカウントをしていたのではなくて、物心ついてから初めて身近な人に次にお正月がやってこない状態を認識したことで考えるようになったのだと気づく。そんなこんなで、残り何回目なのかは分からない二十三回目の私の正月は、上田駅から三十分ほど私鉄に揺られて辿り着いた別所温泉で迎えることとなった。

 

 列車は正月ダイヤで増発していた。一時間に一本が三十分に一本になっていて、その割に列車はちらほらと空席のある程よい混み具合で、大半の(恐らく帰省中の家族連れあるいは地元の人と思しき)客が私と同じ終点で降りた。洋館風の駅舎には正月飾りがちょこんとつき、降り口の階段の先にはしめ飾りがアーチとなっている。雪は既に溶けてなく、よく晴れた気分のいい日だった。

 

 客の流れる方へ私も坂道を登っていく。曲がりくねった道の先が開けると、そこが参道になっていることに気がついた。出店が狭めた道を客が往来している。屋台に混じって無人の御神籤箱があった。破魔矢を持って坂を下る人が目の前でたこ焼きを買った。それで初めてこの街には北向観音という寺院がありここら一帯の人々が初詣に向かっていることを知った。ただそこに有名どころの神社のような喧騒はなく、静かに祝われる尊さがあることは目に見えて分かったので、私は彼らに混じりなるべく目立たぬよう参拝をした。

 

 それからしばらく温泉街を眺め、共同浴場で体を少しばかり硫黄臭くし、長野県最初の国宝と言われる三重塔へ行った。恐らくこれでテンプレート的な別所温泉観光としては一巡しただろうと思われるのだが、結局祖母は嫁いできた母に話すほどに何を見たくてこの場所を求めていたのかは分からずじまいのまま帰路へつく事となった。そして駅への一本道をまた通ろうと北向観音への入り口に立った時、そこにあったのは小さな街の小さな通りの美しさであった。 

 

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 きっと祖母がここで見たかったものは、これではない。もし正月でなければここはただの道だったろうし、もし晴れていなければ美しい山々は姿を見せていなかっただろう。だが、この日この場所に導いてくれたのかもしれない祖母に感謝したい。もしかしたら、大きなスケールの話じゃなくて、こういう取り止めのない何処かの風景ひとつに惹かれていたのかもしれない。そしてそれが叶わなかったのだなあ、と思ってしまう。そうであれば、少しでも行きたいところへは迷わず行くことを私が教訓とすることがせめてものなんとやらではないかとか、そんなことを思いながら駅へと戻った。正月早々、やけに訪れられるかどうかだとか、ネガティブなことを意識することになった。しかし私は死ぬまでにもう一度ここへ来たい。
 

 二両編成の列車が上田へ戻る。既に少しずつ夕暮れ時へと空の色は変わっている。終点へ着いたらどちらへ向かおう。今晩は何処に泊まろう。明日は何に巡り合おう。人生は有限であって、死んでは行けない場所がこの世界には知ってるだけでも山ほどある。最早私にとって毎日が正月であり、全てがマチュピチュとなった。私は今年も、いやこれからも、旅を続けなくてはならない。