月を旅路の友として

大学生です。旅行記と、140字じゃ収まらないネタと、色々。

町田戦記 Ⅴ

 冬の乾いた空気が流れ込むこの場所で私はずっと、ずっと待っていた。深夜にこの場所へ来てから何をするでもなく、ただじっとしていて待っていた。震えは冷え込んだせいでなく興奮と動悸とであって、全くもって眠れなかったしもとより眠るつもりもなかったが、気がつくと机に伏せるようにして私は眠っていたようで、起きた時にはもう世界が変わってしまったような、そんな直感があった。私はすっかり冷え切った金属の部分を摘むように手にした小銃を、太陽の光へ少し当ててから、服の中へ滑り込ませた。それから気が遠くなるほど長い時間が流れたような気がして、円い空の続きの遠いどこかで、車の止まる音がした。それを合図に私達は立つべき場所へ立った。それからしばらくして昇降機の金属板が低い鳴動を三回やってみせた。それは二回目の合図であった。そしてまるで初めてこの場所に足を踏み入れた日を思い出させるような突然に降ってきた来客であったが、あの時と明確に違うのは、私がその時に抱いた恐怖など今には微塵もなく、それは彼らが私が招いた客であるから以外の理由がないからであった。武者震いを堪え生唾を呑みこんだツルカワと声を合わせ、彼らの訪問を出迎えるのが私達であることを明確にした。

 「ようこそここへ」

その三人の男達の中で、最も身長の高い黒い男、トチョウ=シンジュックは真っ先にある場所を見てからぽつりとこう言うのであった。 

「ミサイルがない、だと?どこへ打った。」

彼は、何故知っているのか、それを置いておくとして、五発のミサイルのあったはずの只の空間に近寄ってそう言って、ヒカリエ=シブヤはそうする彼とまるで決別するかのように私達の方へと近づいてきた。だが父はそうはしなかった。父は一人動かないで、ずっと昇降機の側で十五年ぶりに立ち入ったのであろうこの場所を見渡していた。しかしそれには、果たして何であるかは私には分からないが、何らかの明確な意図があってだろうと思って、私はとりあえずトチョウへの返答をすることとした。

「もう打ちました……ついさっき、ここに向けて」

「そうか、最後の一発を打ったか。」

そうやって横並びになった私達三人を順繰りに見た後でにんまりと笑って、黒服を弄って小さな立方体を一つ右の掌の上に取り出した。

「残念だったな、私には予備がある。一発だけと言うのは、勿論嘘さ。もう一発のミサイルがこのスイッチを押すだけでここへやって来る。焦って打たなければよかったものを、君らは早すぎる決断をしてしまったね。」

父の産物によって私達は王手をかけられていた。私達が最後のミサイルを隠したとも、あるいはどこか別の場所へ放って欺いているという可能性など、まるで考えていないようであった。それはもしも彼があの機械を作動させて、そしてもしそれに意味ある結果が伴わなければ、何かまた別の策を講じられるということの証左でもあるのだろうと思った。

「そう、君は賭けに負けた!私が予備を持っていない可能性に賭けて、負けた!さあこの手で、最後の愚かな神奈川県民を我が東京都に入れてやろう」

 彼が四角形に親指の圧を込めると、ややしてから地鳴りがあって、すぐ立っていられないほど激しい揺れがこの場所を襲った。その後で、金属と金属が高速でぶつかり合った、高くそれでいて鈍い音が耳を刺すように響いたのでそこにいた全員が音の方向を見ると、銀色の螺旋が原型を留めないほどに煙を立ち上げながら変化していて、もはや何か別のものへと変化していた。その歪な像を見たその時に私が思いついた言葉は只一言、"創造"であった。

「何だ、一体、どうなっている?」

飲み込めない状況にお互い焦燥を見せることもなかった。だが何が起こったのかを確かめあおうと一歩ずつ暗闇に手を伸ばして正体を探るように、落ち着いた質問をトチョウはしたので、落ち着いてはいられない状況ではあったが私も静かに返事をした。

「一個のミサイルを五十個にバラバラに分割してもらったんだ……知り合いの婆さんにな。その小さなミサイルを機械が一時間に一回、ちょうど二日後まで、必ずこの螺旋をめがけて落とし続ける。」

それはもうミサイルとは呼べないほど小さく、あるいは銃弾のような大きさであったが、決して効力は失われておらず、この地下施設の周囲、旧町田駅だけは常に神奈川であり続けた。

「なるほどな。ミサイルをここへ向けて撃ったとは言ったが、いつ何発撃ったとは言っていない、というわけか。そして私がいつ東京都にさせたとて町田を無理矢理神奈川に書き変える……よく考えられている」

「そうだ。町田はいま世界最後の神奈川だ。そしてここから再び神奈川をはじめ直す。もうお前の好きなようにはさせない」

「言ってくれるな。だが君達は知っているだろう?このミサイルは落ちた場所に帰属する人間だけを神奈川県民にする。私はこれでは神奈川県民にはなってはいない」

「当たり前だ。だが今俺達が都民になることもない。そしてお前はもう、俺達を都民に出来はしない」

「どうだかな」

「何?」

「どうして私がナルセ=ツインズウェストを連れ去ったと思う?優秀な科学者が欲しかったからだ。ではどうして私がサンシャイン=イケブクロを幽閉していたと思う?いいや、本当はもっと幽閉しているんだよ。そうでなければあんなに大きな家に住む必要はない。答えは一つ。労働力が欲しかったからだ。ミサイル量産のな!ここまで用意周到に私を誘き寄せる手段を講じておきながら無策にもミサイルを撃ったと思い込んで、それに乗って私まで無策に東京化を行うなんて、あまりに考えが甘いだろう?私には五十のミサイルなど優に塗り替えるだけの予備がある」

男は自らの勝ちを確信した表情でまたにんまりと笑った。

「どうせ昇降機を動作させられるツルカワ=ジョルナレミィとナルセ=ツインズウェスト博士だけを地上に逃して東京化を解除させようとか、そういう考えだったんだろう?」

私は愕然とした。私の考え得る限り最善の策はもう最初から、全く以て看破されていたのだ。その答えによって、先程から動き出すタイミングを窺っていたツルカワはぴたりと硬直してしまった。甘いんだよ、という怒鳴り声が響いて、それから暫く誰も声を出そうとしなかった。その沈黙を破ったのは、結局トチョウだった。だがその声は先程のそれと打って変わって慈愛に満ちたような声だった。

「君たちはどうしてそこまで東京であることを嫌う?受け入れればいいじゃないか、東京を。」

私達は誰も答えられなかった。

「私と君達の一体何が違う?同じ目的じゃないか。失われた世界を取り戻したいんだろう?」

私が答えた。

「確かにそうだ。俺は取り戻したい。」

なら、という声を振り払うように私は喋り続けた。

「だがかつての世界を取り戻そうと足掻いて辿り着くのは、俺たちが逆戻りし続ける世界だ。人間の進む矢印は後退の方角を向き続けている。そうやって巻き戻した地点から再生すれば、再び崩れ去る……誰も前に進もうとしていないからな」

「君たちはそうじゃないというのか?」

「俺たちは進むべき方向を前にしている。お前とは真逆なんだ。前に進み続ければいつかはかつての人類が歩みきった場所の同じ線上まで辿り着ける……そうすればその時俺達は失われた世界を取り戻していることになるだろう、俺たちが二の轍を踏まなければ、もっと、もっとその先へ進み続けられる……」

あまりにも長い話、しかしこれが私のこの数カ月の目まぐるしい私を取り囲む環境の変化の中で出した答えそのものであったのだが、聴き終えた彼はそれを一笑に伏した。

「バカバカしい、そんなに私の東京が気に入らないかね」

「受け入れられるかよ、"お前"の東京は」

強めた語気で、今度はヒカリエ=シブヤが前へ一歩踏み出して、かつてトチョウ=シンジュックと呼んだ男と向き合った。

「何?」

「東京化計画は間違っているよ。全ての地方の共同体から人間を根こそぎ移住させて、父さんが望む世界のために永遠に働かせるなんて世界は、間違っている。そんな虚飾の繁栄を人間は望んでいない」

「ヒカリエ、どこでそれを?」

「僕が何年あなたの息子だったと思っている?」

「嫌だな、自分の考えをこんな年下の小僧に悟られるというのは。つくづく本当の子供を持たなくてよかったと思うよ。君は父さんと呼ぶが……私が君を息子だと思ったことはこれっぽちの一瞬たりともなかった」

最早誰もこの歪みきった親子喧嘩を止められる状況にはなかった。

「そうだろうな、本当の父さんと母さんが殺される羽目になったのも、俺が戦争で殺されかけたのも、全部お前が仕組んだことだろう、違うか?」

「よくそんなことをした人間のことを今まで父さんと呼べたものだなお前は!褒めてやる、そして見事正解に辿り着いた。そうだ。そうだとも。神奈川派に近かった君のお父さんにから私が聞き出した。それでスパイの疑いで、いや立派なスパイだったがな、あの両親が殺されるに至った原因は、私ということになるのだろうな。だが私は悪くないだろう?直接手を下してもいないし、私自身は伏兵ではなかった。そしてツインズウェスト博士の死を偽装するのに君の名前を借り騙ったのも勿論私だ。なぜ君の両親が死んだのか勘ぐられたら邪魔だったんだよ君という存在は。。まあ運よく逃げたようだから、監視のためにお前を手元に置いておいたのさ。かわいそうだと思わんこともなかったからな。」

私であったら耳を塞ぐか正気を失うか、あるいはその口を指の爪で突き刺してやりたくなるような、そんな長い言葉を聴き終えた後で、静かに怒りを燃やしたと見えるヒカリエ=シブヤは、これまで私も聞いたことのないようなどすの効いた低い声を出した。

「僕もあんたみたいな人間を父親だとは思わないぞ、トチョウ=シンジュック」

「好きに呼べばいい、私が興味があるのはお前ではない」

「僕はあんたの手駒だったんだな!ナルセの誕生日にここに来るよう仕向けたのも、ミサイルのテストのために熱海から奇襲する人間を呼んだのも、全部あんただったんだな!」

「それがどうかしたか?」

まるで人が変わったかのような急な激昂の後で、ヒカリエはもう人間のそれではない叫び声をあげて、あたりから手早く人を殺せそうなものを探ろうとしているのを見て近くにいたツルカワが必死に止めにかかった。それは最早私が本で読んだことのあるワンシーンのようであったが、トチョウはその様子を見てまたしても冷たく笑うのであった。

「無様だな、仲間割れか」

 友人二人の喧嘩のようながある程度沈静化したと見えた時、私が一抹の希望を一目見ただけで掛けていたものを脅かす、恐るべき事態が起こっていたのを私はこの目で見た。

「まあ、その、なんだ。」

次第に言葉を発した男の体躯が伸びていくように思えたほど凄みを帯び始めた声で、トチョウ=シンジュックは私の方を見ていた体を腰から時計回りに捻じ曲げることで誰へ向けた科白なのかを明白なものとした。

「変な真似はよせ、ツインズウェスト博士。」

私は知っていた。父が何をしようとしていたのか、ちょうどこの恐ろしい男を挟むように立っていた父がどのような動きを何の目的を持ってしていたかは余りに単純なことだった。それをこの男に悟られぬよう私は懸命に、異常な野望を宿した瞳だけを見つめていたしそれは成功していたように思えた。また、二人が男の注目を惹きつけんとする咄嗟の試みも、恐らくは成功していたのだと思っていた。しかし今、望みを成し遂げんとする心は父へ向けて裂けるほど張り詰め伸ばした腕の先に構えた銀色のピストルの引き金を支配する右手人差し指に全て集中していた。

「そいつを降ろせよ。降ろさなければ私は撃つ。君の息子も撃つ。君の戦友の娘も撃つ。いいのか?それで」

父は震えながらにして棚から取っていた小銃を捨てた。私には分かった。彼らは十五年の歳月の中で、たった二人の戦争をしていたのだ。そしてその戦争は、父の敗北でたった今幕を閉じた。

「いつから?分かっていた。いつからお前は、俺がこうすると分かっていた」

「いつから?最初からに決まっているだろう。君が言い訳に選んだ物資不足、神奈川を転移させる代案、十五年後の戦略、その全てが嘘だと私は最初から気づいていたさ。勿論君が君の希望を頼りに、また君の希望がここへ私を招き、そして君が最後に私を殺そうとするだろうということも、全て、全て」

最早この二人の間に誰一人として立ち入ることは許されていなかった。

「だが目を瞑っていた。君にそれで揺さぶりを掛けたり脅したりして舌でも噛み切られたら元も子もないからね。だから私は十五年待ったのさ。自分の人生の相当な時間をかけて遠回りしても手に入るのなら仕方がないと」

それから銃は相も変わらず構えたまま、目線だけ父の手元から滑っていった銃を見ていた。

「そして別に君はそれを使う気もなかった。只私を脅して、私が忍ばせていたと直感で分かっていた銃を捨てさえさせられればそれで良かったのだ。それから息子が私に飛びかかってスイッチを奪えれば、とかな。お前も平和を願っているから撃てはしないんだな、違うか?そうだろう?ええ、そうだろう?」

怒涛の問い詰めの中で逆上の赤色まで帯びていた至極厳格な表情をふっと緩め口から息を漏らしたと思うと、けらけらと不気味な笑い声を腹の底から出していた。

「だが……遠回りをして良かったな。その顔に浮かぶ絶望はその時間の代償にしてはお釣りがくる傑作だ。次そんなことをしたらタダで済むと思うなよ。お前がそれを拾ったと見えた瞬間、お前の息子は射殺される」

この恐ろしい脅し文句の時に父が私へふと向けた瞬間の目線で、それは絶望と呼べるものではなかったそれで、私達が父のために時間を作った様に、父は私に時間を与えたのだと私には分かった。私が今から手にするものが、自分の持つ実弾より強いということを父は察して演技をして見せたのだった。それで私は決心をせねばならなかった。例え私が死ぬかもしれぬとしても、私には私にしかできないことがあった。男がさて、と切り出して問答のうちに切り返していた脚を襟を正すように元の位置へ戻そうとする一瞬のうち、私は決意の答えを、素早く取り出した物を支える両腕に託した。

「親子揃ってバカらしい。お父さんが守ってくれた大事な命を自ら無駄にするというのか?親不孝なやつだな」

「お前は親孝行が過ぎると思うぜ」

手汗がどうしようもないくらい湧き出てきて今にも落としてしまいそうな手に持った凶器を私は必死に掴んで、少しばかり震えながらに彼だけを狙っていた。

「何?」

「油断したな、お前は俺に銃を構えさせた時点でもう負けている。俺は知ってるぞ。お前は俺を殺せない。俺がこの銃を下げるまで何十年でもそのまま銃を構えるだろう。だがその間一度もその銃口から煙は上がらない。お前には人を殺せないからだ」

私は照準の後ろにいるもう一人の腰が抜けてしまいそうな男が、よくやった、と言わんばかりの満足げな表情をこちらに浮かべてきたのを見逃さなかった。それで思わず私も変になってしまってはいけないと思って、きっと辿り着けた正解の証明を述べ続けた。

「お前が父さんを連れて行った時のことだ。その犯人をヒカリエだとしたのは、シブヤ家が東京で根強い力を持ち自分の邪魔になるかもしれない、そしてヒカリエの親が死んだ理由が自分が命じたスパイ行為のせいだと分かれば逆恨みに自分を殺してくるかもしれない、そう言ったよなあ。別にそこに疑問はない。問題なのは、なぜお前がヒカリエを直接殺さず、間接的に敵兵に情報を流して殺させるなんて回りくどい方法を選んだか、だ」

本当は最初から冷静であっただろうヒカリエはずっと黙って聞いていた。

「父さんもそれを見抜いていただろう。確かに死なれちゃ困るだろうが、東京化装置を完成させた後の父さんはお前にとって用済みだったんじゃないのか?そして奇襲をかけられるかもしれない存在だった。なのに父さんは、生きてる。どうしてだ?」

目の前の男の鋭い眼光が私を貫くのを、私は必死の思い出跳ね返してやろうとした。

「答えは一つ。お前は人を殺すのが怖いのだ。自分の父親を自分が殺したと思ってから、お前は戦争でも首長でも悪者であってもどんなお前であっても殺せないんだ。だからお前には俺は撃てない。お前は不道徳でありながら道徳を捨てられていないんだ」

静寂が空間を支配した後で、その所有権を再び自分に戻さんがために、トチョウは狂ったように笑った。

「よく分かったな。いや、そんな話をしたこともあったか。だが、お前には俺が撃てるか?お前は自分が心底軽蔑する悪者でさえしなかった悪をその手で体現出来るのか?父親の理念と自分の理想を、たった数センチの指の動きで壊すことが出来るのか?」

「出来るとも。ああ、出来るさ」

「言ったな。そこに覚悟はあるか?お前は本物か?よし決めた。十秒数えて待ってやる、決めたぞ。ゼロになったら俺は悪になる。お前を、お前達を最後の犠牲としてやろう。たった十秒でお前は悪になれるというのか?さあ行くぞ」

十、と言う声が響いた瞬間に、私の決意は重いトリガーに力を加え、弾丸は彼へ向かった。彼はその衝撃で片膝をついてみせ、また脱力しその手から銃を離した。だが決して彼から赤やどす黒い色の血は流れず、また彼も一瞬のうちにその異常に気づいたようであった。

「貴様、何をした、何をした!」

「言っただろう。俺はミサイルを五十分割した。それを一時間に一度ここに着弾するようにちょうど二日設定したら必要な小型ミサイルは一体何個だ?」

言葉になっていない叫び声で、コートからスイッチを取りだした右手を私は的確に狙撃した。着弾の衝撃で装置は手元から離れ、私の手中に収まったが、二発の銃弾を受けてなお男は一切傷ついていなかった。私はこの世界一優しい兵器を作った父とグランヴェリ婆さんに心から感謝を言わねばならなかった。

「着弾地点は神奈川県になるんだよなあ、そうだよ、お前は今日から神奈川県民だ。お前の敗けだ」

 

「父さん、ありがとう」

近寄ってきた父に、あの部屋で出会った時には言えなかった、心からの感謝を述べられた。

「俺はお前を信じてよかった」

もう背丈も同じくらいの父親に、幼かった頃の記憶と同じように頭をくしゃくしゃと撫でられてなんとなくむず痒かったが、ただ嬉しさだけが体の底から込み上げて来た。

「それで、東京都民化は元に戻せるの?」

「何、簡単な話だ。最初撃ったといったのはハッタリだろ?なら五十から三を引いてみろ。それで生きてる共同体は全部まかなえるだろ」

それで私はツインズタワー、それは私達の父親の名前と同じ塔であったのをこの時知ったのだが、そこに仕掛けた極めて原始的な落下装置を止めることにして、ツルカワが昇降機を行ったり来たりしてそれらすべてを持って帰って来た。

「ずいぶんちっちゃくしちゃったけど、ここから飛ばせるの?」

「俺を誰だと思ってる?」

「ナルセ=ツインズウェスト博士?」

「違うな」

そういうと、あの頃の笑顔が遅れてようやく戻って来た。

「お前の父さんだ」

綺麗に並べられた小さな小さなミサイルが上空へ一斉に浮かんだ後、青空に白い尾を弾きながら向かうべき場所へてんでばらばらに飛んで消えていった。もうきっと耳にするのでないであろう機械の声が四十七回の成功を数えたあとで、私はようやく胸をなで下ろすに至った。

「これで終わった。これで全ての人類は神奈川県民になった。父さん、やったよ。俺。」

そして私達は大声を上げて騒ぐこともなく、静かにそれぞれが歓喜を心のなかで噛み締めていた。それから、両腕を縛ってはいたが最早気力を失い柱にもたれ項垂れるだけのトチョウを、ひょっとするとこれから彼を父親としてもう一度考え直すかもしれないヒカリエという私の友人に向かって、一つの頼みごとをしようとしていた。 

「生きている人全員に言いたいことがあるんだ。だからまた旅に出ようと思う。ヒカリエ、悪いけどしばらく車を貸してくれない?」

「いや、その必要はないさ」

父はミサイルを打ち出す機械の前に胡坐をかくように座り、そういって私を呼び止めた。

「食料施設同士が通信できるのは知ってるな。このミサイル発射装置はその通信システムを繋げ続けることで全ての施設に連絡が取れるんだ」

「そういうのは先に教えてくれよ! 」

「あれ、書いておかなかったか?」

もちろん何処にもそんなことは書いていなかったはずである。それさえあれば、西で絶望を味わうことも、北で死を感じるような体験も、しなくて済んだはずである。しかしもしそれが残されていてこの通信システムを知っていて、この場所から全てを終わらせようとしていたら、恐らくそして間違いなく私は今東京都民だったであろうと思うと偶然かは知らないがその事実が書き留められていなかったことに感謝するほかなかった。私は父の言うとおりに従って、機械の前に立った。父の合図を受けて、私は今まで出会った全ての人へ向けた声をあげた。

「全神奈川県民の皆さん、私が神奈川の代表ナルセ=モディルミネです! 」

機械から耳障りな高音が鳴ったので思わず耳をふさいでそれが収まるのを待ってから、少し静かな声で、しかし確かな声で、私は続けた。

「この国の全人口は神奈川県民となり、晴れて神奈川県は統一されました。皆さんの協力あってこそ成し遂げられたことで、ここで感謝を述べたいです。本当に、ありがとうございました」

私はお辞儀をした。私の声を聞き、私の姿を見る人がどのような思いでいるのかは私には分からないが、私の心からの想いが届くようにと、深く、深く礼をした。

「私が目指すのは世界の復興です。在りし日の輝きを再び人類に齎さんが為に、私はこれからの人生の全てを抛つ覚悟でいます。そしてこの夢に終焉の中に暮らす皆さんが協力してくれるというのであれば、ぜひ力を貸して欲しいんです」

まとまりのない考えはあっても具体的に何を喋るのかは全く考えていなかった。だが、喋るべき言葉がまるで何者かに導かれるように私の舌から軽やかに滞りなく発され続けていた。

「ですがこれは"復興"であって"復旧"ではないのです。かつてのようにあれとも言わないし、何をしろと命じもしない。ただ誰しもがやりたいことを自由にやれる、そうして前に進める、そういう世界を神奈川で作りたい」

後ろにいる四人は、ただじっと、機械の向こうの人々と同じように私のいうことを聞いていた。だが彼らがいて、初めて私はこんなことを考え喋れるようになったのだと、その時初めて気づいたのだった。

「皆さんは神奈川県民であって、だがそれ以前にマチダの、トーキョーの、オーミヤの、オカヤマの、モリオカの、すべての、そこに生きる人々です。どうか誇りを持って生きてください。希望を持って生きてください。そのために、神奈川は皆さんを守る手段でありたい。共同体同士の行き交いの手段を確保します。文化の進展や交流の促進のための整備をします。約束します。そして……自由に暮らしていただきたい」

ほんの一息だけついてから、波のように押し寄せる私の思いを腹の底から声にした。

「いつの日か、この絶望を抜け出したその先の世界で!」

 

 

 

 それから、私達は変わりゆく季節を追いかけて過ごし始めた。今までの私達は流れ続けるそれをただじっと見つめているだけであったが、もう足踏みしているばかりではいられなくなったのだ。そしてあの日から八つの季節が巡り二年の月日が流れたよくある晴れた空の高い日のこと、そうそれは二○九五年九月三十日のことであったが、私達は海を見ていた。母なる川を下りきった場所にあったショナンはこの世の終わりのような場所ではなかったということを、私とツルカワと私の父は実感した。果てしない海と美しい造形をした島は、間違いなく十九年と三百六十四日の人生の中で最も美しい光景であった。そういう意味では、もしもこの世界が終わりまで辿り着いた時に見る極致の景色だとすれば、伝承も合理性を保つのだろうと、砂浜にどこまでも置かれた直方体に腰掛けながらなんとなく思っていた。だがその眩い海の煌きは、西の果てで見たあの日と同じ真白な煌きは、今も変わらない残酷な事実を波と一緒に私たちの元へ運んでくるのだった。

「この海には触れられないんだよね。昔の人は海の中に入ったんでしょ?」

珍妙な形をしたグレーの何かに腰掛けていたツルカワは水を避けるようにそれから降りてきて、ぼんやりと黄昏の波打ち際で掴んだ石を遠い海へ投げつけていた私の父に尋ねた。

「ああ、そうだな。俺が子供の頃はみんなこの海で遊んでた。」

こんな風に、と近づいてきたツルカワの注目を引きつけてから、手頃な石を地面に出来るだけ水平に投げつけると、石は魔法のように水面で跳ねて、四回目で黒い海に溶けた。側へ寄った私にお前もやってみるかというので適当な石を飛ばすと、全く跳ねないでごく近くで低い音を立てて沈み消え二人に笑われたのでむっとして、それでもこの時間が私は欲しかったのだと、残り僅かな光源でも分かるように笑ってみせた。

「今は石ころ一回すら飛ばせないけど……いつか、いつかきっと、俺か、いや、俺の子供か、俺の孫か、知らねえけど、いつかはきっと、この先の世界へ俺達が渡ってみせる。」

そのために私は戦ったのだ。

「そうだ、婆さんが父さんの本を借りに来たよ。一から勉強をするんだ、って意気込んでる。あれだけ施設はもう作れないって言ってたのによ、作る気になったんだ。俺はそれが凄い嬉しい。そのせいで誕生日に仕事しなくちゃいけないのは、ちょっと複雑だけど」

「まあいいじゃないか。明日から一人で働くことの方が、気が引けるだろう?」

父はそう言ってまた手元から放った石が今度は五回飛んで、どこか知らない深い場所へ行った。ちょうどその時のこと、潮騒、というらしいこの音に混ざって、秋という季節が見せる美しい橙の空気で澄み渡った空に"メロディ"が流れた。それはマチダで聞き慣れたあの不快な旋律ではなくて、私の心のどこか深い場所へ染み込んで切なくさせてしまうような、そんなものであった。

「いい音だね、これ」

「本当はこういうのが"音楽"ってやつなのかもな」

なんとなくそう言うと、音楽、と反芻したツルカワは流れた音をその口で一つずつ丁寧になぞって、繰り返してからこういった。

「なんか私、これ好きだな。ねえナルセ、おじさん、他にも音楽、ってないの?」

私には知るところがなくて父の方を見やると、父はその低い掠れた声で、そのメロディに言葉を付け加えてみせたので私達は吃驚した。音楽というのは、こうやって何かを伝えるものだったのだ。

「知っていたかい?これは早く帰りなさいって合図なんだよ。そろそろ帰ろうか」

歩き出した砂浜から振り返ると、戦争の火種だった大きな山がその形を美麗に見せていて、もう沈んでしまった夕陽が残り香のように空に帯に浮かべたオレンジに何か懐かしいところを感じて、そしてその上を占める深い紺色が早く帰らなくては、という気分にさせて、先に歌いながら歩いていってしまっていた父とツルカワを走って追いかけた。海岸沿いに止めてあった車の灯具はあの時壊した右側の部分もいつの間にか丁寧に修復されて光っていて、目指す世界の始まりがこんなところにも表れているのだと感動したのだった。

「何か?」

暫くライトばかり見ていた私を不思議がって声をかけてきた。

「いや、ずいぶん明るくなったな、と思って」

「私が直したからね、ええ。でも今日は要りやしないよ?こんなもの」

「なんでですか?」

男が改良して後ろにも座れる場所をつけたので、もうそこに腰掛けていたツルカワは純粋な興味で運転席に座る彼に声をかけた。

「なぜって、ねえ。上を見なよ」

私も、父も、ツルカワも、そして男も、ついさっきまで青色だった黒い天井に浮かぶほのかに白い月を見上げて、納得以上の感情を見出して全員見とれていたのだ。

「こんなにも明るけりゃあ、進む道なんてすぐ分かる、そうだろう?ナルセ=モディルミネ君」

「そうだな、さてじゃあ運転をお願いしようか」

そういってなんの重大な意味もなく、男の名前を呼ぶのであった。

「トチョウ=シンジュック」

 

「トチョウさんも来ればよかったのに、どうして来なかったんです?」

隣に座るツルカワが夜を走る中でそう聞いた。トチョウ=シンジュックが改造を請け負った神奈中軍事車は後部に蹲ったりしがみつくようにしなくても二人が乗れるようになったほか、私が壊した白色灯の修復、雨降りになった時のための屋根、車外へ振り落とされないようにする装置、など、過去の遺物を参考にありとあらゆる改良を重ねていたが、車内用灯具だけは多少ましになったとはいえ相変わらず頼りないものであった。

「なに、私もあそこから見れていたからな」

「海を?」

「君達が作りたい世界をだよ」

そういって最大の改良点である機械式自動操縦に身を任せながらも一応はアクセルを踏んだり操縦桿を握る彼は、あの頃とは全く違う表情、いや、あの時初めて出会ったのを心から出しているような、そういう表情でいたに違いなかった。

「それで、二号機はもう出来たのか?いい加減俺達もこれを自由に使いたいんだが……」

神奈川県民になった彼については、最初は未だその野望を心のどこかに廃棄処分せずに残しているのではないかとも思っていた。ある日突然車を貸して欲しいといって来てからずっとあの四十五階の建物にこもりきりで、何をしているのかと思って見に行けば車をバラバラに分解したので怒りが込み上げてきたのだが、隣に置いてある図面を見て、その車をそっくり其の儘書き上げたのを見て、彼もまたこの世界で歩み始めたのだと分かった。それで今度は自分で日本中原料を探しに行くといったのを許して暫く車がなかったものだから、二年経って私たちは今日初めてかつての人類が享受した"ドライブ"という文化を知るに至ったのである。

「二号機?なに甘いこと言ってんだ。私はもう五十も作ったぞ」

五十、と驚嘆の大声を三人揃って出したものだから、トチョウはその後で噴き出してしまっていた。

「いやまあ、結局原材料は見つからなかったけどな。だが二年で色々巡って地面のなかで眠っていた奴を掘り起こして図面に沿って修理して、各共同体一個ずつは確保出来た。これで交流はより盛んになる、そうだろう?」

「ああ、ありがとう」

「俺がここまでやってんだ、お前ももっと、もっと、もっとその先へ進んで見せろよ」

私はもうこの時半分、いやほとんと全部、彼と向かい合って銃を向けたことを忘れかけていた。

「あ、そうだ」

ツルカワが素っ頓狂な声を出して、何か思いついたようでわくわくした様子であった。

「どうした?」

「忘れてた。今日お父さんが、うちでみんなでご飯食べないか、って」

「へえ、何か珍しいものでも?」

そういって前方に座っていた父が振り向いて好奇心のままに聞いた。

「ううん、お米です」

昨年のこの頃、彼女の灰色の創造の地が黄金色の大地に見違えるほど変わっていたのを目にした時、私は昔の人々がなぜ取り憑かれたように黄金を追い求めたのか、なんとなく分かったような気がした。それと、私にはまだ知らない秋があることを知って興奮したのを、ふと思い出した。

「そういえば米って色んな種類があるらしいぞ。今度違うやつが届くことになってるんだけど、育てられるのかな?」

「たぶん大丈夫。田んぼ作りすぎちゃったから、ちょうどいいよ」

 

 夕食の誘いを断りシンジュクへ帰るトチョウに、ある人への手紙をそのついでに渡して欲しいと頼んだ。本来こういう仕事は郵便制度のある程度整った今、飛脚に頼むべきことであったが、なんとなくなるべく早くその人へ届けたくて、彼へ頼んだ。人々の行き交いが自由になってから、私達の世界には交流が生まれ、新たな職が生まれ、文化が生まれ、希望が生まれた。そしてその翌日もマチダに何人かの訪問があった。その中には旧友であり戦友でありそして何より親友である、ヒカリエ=シブヤが含まれていた。息を切らして寝惚け眼で遅くにやってきた彼が手渡したのは私の二十歳の誕生日の贈り物のようであって、早く開けろと急かす彼に従って封を切り現れたのは一冊の本であった。

「今日は仕事だって言ってたろ?別に本読むのは急がないから、明日でも良かったのに」

「いやそうはいかないんだ」

直方体の父に代わって本物の父が新たなにこさえたまだ何も入っていない本棚のすぐそばで腰掛けていた私は、蔵書とは全く違う匂いのするその本をそこへ入れた。しかし彼はそれをまた取り出して私へ押しやるのであった。

「最後まで読めば今日で良かったと思うから、ね」

そう言って彼は代わりに父の蔵書を何冊か借りて行って、母の用意していた夕飯を急いでいるかのようにすぐ平らげて、私の見たこともない形と色をした車に乗って帰っていった。私は片腕を振ってそれを見つめていたが、いつまでも後部の赤い灯だけは暗闇に残っていたような、そんな気がした。それで玄関の戸を閉めて、貰い物のその本を取り出してから寝台へ行って私は直ぐ中身を読んだ。そしてそこで語られた物語を締めくくるのは、このような言葉であった。

 

「ここに小さな世界最後の戦いの終わりを記念して、また恒久なる世界の平和と発展を祈念して、町田の自宅にて筆を擱く」

 

二○九五年 十月一日 作・ナルセ=モディルミネ

『町田戦記』