月を旅路の友として

大学生です。旅行記と、140字じゃ収まらないネタと、色々。

町田戦記 II

   私は目覚めたことで昨日の一連の出来事が夢でないということを認識して、今度は現実が醒めやらぬ夢であることに頭を悩まさねばならなかった。秋の高い天がこんな終わりかけの世界を輝かしく見せるよく晴れた日だったが、ヒカリエと会う前にツルカワの父に呼び出されていたことが喫緊の悩みであったのだ。私は老婆の元へ出向き今日の工場の休暇を調整してもらった後で、久方振りにツルカワの家を訪ねた。何を言われるか分からないのが恐ろしいという感情は確かにあったが、しかし私としても聞きたいことは多くあったし、またヒカリエが何者たるかはこうなった以上理解しておかねばならなかった。極めて正確に等分された住居のうち、最も美しい環状の飾りの取り付けた家の扉を叩いた。

「まあ座りなさい」

部屋の中には厳格な顔つきに似合わぬ柔和な笑みを一瞬だけ浮かべたツルカワの父が長椅子に腰掛けているだけで、ツルカワとその母親は家には居なかった。私と彼との話し合いにおいて特に私の父が殺されたことに関わるのであれば、昨日母親が少しばかり取り乱したことを考えると少しでも聞く耳を減らすべく彼女らは居ない方が都合が良いのであろうし、創造作業に先に行かせたのだと思われた。そのせいか私の家と同じ間取りでも空間を持て余し気味な住処に見えたが、所々には私の見た事のない旧時代の遺産が幾つか飾られていた。

「君は、川を下ったね。昨日工場には行っていないだろう」

「何故です?何故分かったのですか」

私はうまく隠せていたと思っていた点を真っ先に暴かれたことで少し気が動転してしまった。

「その質問には後で答えよう。君はミサイルを見たか? 」

「ええ、見ました。しかしヒカリエはミサイルを欲しがろうとはしませんでした」

意外そうな顔をした後で、少し考えてから腑に落ちたようであった。

「まあ、あれは誰かに渡したとて意味のないものだからな。君はあれについてどこまで知っている? 」

「あれを作ったのが父である事、多分父が足を負傷して戦争に加わるのが難しくなった事、それであれを作ったこと、そして、今の私にはあれが使える事」

「そこまで知っていたなら話は早い。勘違いを訂正するなら、君にあれが使えるのでなく、あれを使えるのは君だけなのだ。厳密に言えばそれも違う、というのがさっきの質問の答えになるな」

「君が行ったのは旧町田駅だ。このマチダという名前はそもそもあの場所を中心とした町田という街から取っている。本当はあそこが町田なんだよ」

「町田? ではあそこは海ではないのですか?」

私はまたしても海が分からなくなった。

「あれはただの水だよ。そして螺旋の下の空間には本当は水などなかった。あそこは人々が行き交う立派な道だった。それを水で沈めたのは私と君のお父さんだ。もしも誰かがミサイルを強奪しようとして三方を水に囲まれたあの地下施設に入ろうとすると、ある手段を除けば分厚い天井を強引に開けるしかない。一番有効な方法は爆破だ。だがあそこに爆薬を仕掛けたらどうなる? 当然ミサイルと発射装置は流れ込む水でお釈迦だろう。それほどあれを誰かに取られるのを恐れていたんだよ、君のお父さんは」

「ある手段、とは何です」

「簡単だよ。君はどうやって爆弾を使わずあそこに入った? 」

私は思い当たる節が一点だけあった。まさかとは思ったが、そのまさか、というのはこういう時のためにある言葉だと痛感することとなった。  

「そうだ。あそこを開ける正規の手段はただ一つ。ツルカワ=ジョルナレミィ、私の娘が昇降機に取り付けられた銀の螺旋に触れる事だ。つまり私、ツルカワ=ツインズイストとナルセ=ツインズウェストは、自らの子息を鍵と使い手にした、ということになる。君が十八歳の誕生日に私の娘を連れてどこかに行くというのなら、あそこしかない。それがさっきの質問の答えだ。きっとあいつ……ああいや、君のお父さんのことだ、手紙か何かで君にあそこに行くよう教えたんだろう? 」

「ええ、その通りです。手紙は母を介して私宛てに届きました。しかしそこに娘さんを連れて行くようにとは一切書いてありませんでした。事実私と娘さんは偶然に出会っただけです。もし一人で行っていたら、あそこを開けられず首を傾げて帰ってきていたことでしょう」

「まあ確かにそれも、らしいな。あの人は未来を信じる人だった。そしてその信じたことは必ず現実になる。だから私はそんなあの人をまた信じたのだ。娘を仮令危険な目に遭わせる可能性があるとしても、そうしろというのならあいつが信じた結末に娘は死なないのだろうと。だから鍵を渡した。君のお父さんは平和を望んでいた。勿論私もだ。だからあれを作った。君は不思議に思わなかったかい? あの誰も殺すことのない、優しい兵器について」

「あれは何ですか? あれの目的だけは、一晩考えても全く分かりませんでした」

「あれは私達の希望そのものだった。二手に別れた、ばらばらになった物を一つに統合する力があれば、すべての戦いは意味を無くす。すべての人間は同じ場所を目指せる。あれさえあればもう誰も死ぬこともなく戦争を終わらせられると信じていた。君のお父さんが初めて五本のあれを作ることに成功した時、私達はあの場所で泣いたのを今でも昨日のことのように覚えている。だが現実には、私達が勝手に新造兵器を量産し実戦投入して戦局と戦略を真っ向から覆すことなど出来なかった。いくら英雄と煽てられても、上がいれば従わざるを得ない。だから一旦私達は封印してまずは未来にあれを託したのだ。上を説得する時に既に私達の管轄下にあると言えばどうなるか分かったものではないからな。だが説得と増産を前にして君のお父さんは殺された。君のお父さんを最後に見た者によれば、それはこの辺りにごく近い戦場だったそうだが、その日三十代ほどの敵兵を一人だけ見かけたという。そしてあいつは帰ってこなかった。それから数日してこんな情報が共有された。ナルセ=ツインズウェストを殺害したのはヒカリエ=シブヤだ、と」

温和な雰囲気のツルカワの父が言葉を挟む隙も与えぬ過去の証言の中で次第に露わにしたやり場のない怒りに、私もどうしようもなくなってしまった。

「しかしヒカリエが何を考えているかは分からない。よりに寄って昨日、あの場所にいた意味はなんだ? 私たちはあの時ついぞ敵討ちは出来なかった。仲間も誰も見つけられなかったというが」

「私が会ったヒカリエを名乗る男は、私の五つばかり上のように見えました。とても戦争の時三十歳だったとは思えません。その時三十ならもう五十でもおかしくありません。彼はそもそも戦争にいなかった可能性すらあり得ます。人違い、という可能性も」

「そうそういるものではないと思うがね、そんな珍妙な名前の人間は」

この時話の一つの切れ目を通り過ぎた雰囲気を理解して、ずっと俯いていた顔をふと上げるとツルカワの父は窓の外のどこか遠く、あるいは父かもしれない、を見るようにしていて、それから私の方に向き直して、空気を一転させてから私に優しく語り変えた。

「今になって思うが、あいつはただ私達の手に余るものを見せかけ上封じたのでなく、自分が死ぬかもしれないというある種の予感、いやもしかしたらそれも信じた未来のうちなのかもしれないな、そういうので次の世代の可能性に賭けたのかもしれない、そう思えてくる。もし自分の手でしか開けられず自分の手でしか動かせなくしていれば、未来永劫誰もあれを見ることはなかったのだからな」

「ですがもう、戦争は終わりました」

「言っただろう。あれは誰も殺さない。無用の長物ではないさ。あれをどう使うかは、君の自由だと私も、そして天国のお父さんも思うだろう。そして私の娘がどう思いどう動くかもまた、どのような茨の道であれ娘の自由だ。君達が新しく神奈川県を作ることは、君達がこの世界を作り直すことだからな」

世界を作り直す、という言葉の重みは非常に強くのし掛かった。だがもし彼の言う通り神奈川を作ることで、遠い場所まで同じ神奈川県となり、人々が同じ方角を向いて、絶望ではなく希望を目指して歩き出すことが出来たのなら……それは私が渇望する本の中の世界の再生以外の何物でもなかった。それからツルカワの父にこれからあそこへ行くのかと聞かれ、正直にはいと答えた。

「私はヒカリエを信じない。その名前を聞くだけで、殺意を友に戦地を駆けた日の煮え滾る思いが腹の底からまた胃液と一緒になって逆流してくる。だが、君が信じるというなら、私は止めない。私が信じているのは、君と娘の無事だけだ」

 

  居住地からやや歩いて、柵を取り壊して拵えた器具を荒れ野に振るうツルカワを呼び立てて昨日の場所へ行こうと言った。お父さんと何を話していたの、と聞かれたので私は正直に全てを彼女に話した。彼女は自分が父に託した希望の重圧に押し潰されることもなく、ある種の宿命を淡々と受け入れていた。螺旋の前でヒカリエは待っていた。昇降機が下り切った時、私はようやく勝手に感じていたのかもしれない重い沈黙をこの声で破ってみせた。

「単刀直入に聞きたい。ヒカリエ=シブヤ、あなたは十五年前、第四次大戦に参戦していましたか? あなたは、私の父を殺しましたか 」

「あれ、僕苗字まで名乗ったっけ?変なことを聞くなあ。まあでも僕は怪しいものな。順を追って答えよう。まず、四次大戦には参加していないが、十五年前の戦争には参加していたよ。十歳の少年兵として」

昇降機の鉄板を踏んで軽い音を鳴らし歩きながら理路整然と語り始めた彼の言葉に僅かな引っかかりを感じ、父の手がかりを逃すまいと透かさず質問を入れた。

「父が参加していたのは四次大戦じゃないんですか? 」

「厳密に言えば違う。僕と君のお父さんが立った戦場は町田内戦だ」

「町田内戦?」

私が言うより前にツルカワが疑問符を浮かべた。この周辺が主戦場だっと言う話は聞いたことがなかった。

「ああ。もともとこの辺りは領土認識が曖昧でね。今でこそぴったりと隣接する他所者なんてことはないから分からないだろうけど、昔からこの土地はどちらのものか、というのは争いのよくある種だったんだ。それがここでも起きた。このミサイルの名前にもなっている神奈川とその宿敵東京が、境川、君らは今はその名を忘れた、いや忘れたふりをして母なる川と呼んでいるのはそこが境であることを否定したいからだと聞いたこともある、その先で、ここ町田を巡って戦争を始めた」

私達は私達が住む地の誰も語らない驚愕の真実を初めて知ったようで目を丸くして何も言えずにいた。

「問題なことに、当時の日本という極めて広い国の枠組みの中で、対立している場所同士が次々と東京か神奈川のどちらかに着いて戦争を始めた。六百年前にも日本には同じような争いがあったそうだ。珍しいことではないんだろうね。けれどそこまで戦火を拡げた彼らにとっては最早町田がどちらのものか、それより東京と神奈川それそのものなんて問題ではなかった。どちらが最後まで殺せるかだったよ。勿論このあたりに住む人たちは町田を重要視していたがね。例えば、そのリーダーだった君のお父さんとか」

ツルカワの父が言っていた自分たちの上にいる人、自分たちのやることを理解出来ない人、という意味合いがこのとき漸く理解出来た。彼と父はここの戦場では英雄であってもまた別の並行する戦場では意味のない第三者でさえあったのだ。彼らが一旦は自ら兵器の保有を破棄さえしていたのは、そうとでもしなければ仲間内にすら宣戦布告たり得てしまうからであった。そんなことに思慮を巡らせているうちに、まあともかく、と前置きをしてから彼は結論を述べた。

「僕のような少年兵には英雄ナルセ=ツインズウェストはとても殺せる相手じゃないよ。そもそも僕は僕の仲間の少年たちに言われて逃げ回り続けていたんだ。理由は今でもよくわからないがね。だからこの手で一人も撃ったことは無いんだ。」

だから昨日は緊張したよ、とはにかんで言う彼を見てからツルカワと目を合わせると、嘘ではないと思う、という視線が確かに帰ってきた。

「なるほど。分かりました。父の仲間の中ではあなたの名前が当時犯人として出回っていた。しかし父を殺したのはあなたより幾つも上の人ではないかという矛盾した証言もあります。ともかく俺は、あなたを信じます。疑ってすみませんでした」

「いやいいんだ。仕方のないことだからね。君は悪くないだろ。それで、こいつについてだが……」

「大体のことは分かりました。問題なのはこれをどうするかです」 

「君は、君達はどうしたいんだい? 」

「俺は……俺は、俺は父が俺に託した希望を叶えたい。きっと外の世界には、マチダみたいな、終わるしかない場所と終わるしかない人間が沢山いる。これを使えば世界は広がり一つになる。それは俺たちにとって、再び人間の矢印を前へ向けることで、始まりで、希望なんじゃないか、って」

「私もです。私はナルセが夢を叶えられるなら、これもナルセのお父さんからの十八歳の誕生日の贈り物だと思うんです」

十八歳というタイミングの設定は、責任能力という問題もあるのだろうが、父が私が夢を強く抱く時期を見計らったもののようにも思えていた。

「賛成だな。僕もそう思っていたよ。これはきっと、失われた世界への福音になる。実はね、僕も父から何か託されてるような気がするんだ。僕の父も戦争で死んだんだよ。生きてた頃神奈川の人と仲よくしていた。あの戦争では東京派として戦ったけど、それでも仲良くなれるんじゃないか、って思ってたみたいなんだ。俺はその思いと君の思い、そして僕の思いをこいつに託したい」

「ヒカリエさんの思い? 」

「まあそのうち話すさ」

 

 次の方針を決めるにあたって、まずは地下室の整理が急務であった。このミサイルを実用的にどう動かすかについては、このミサイルをどう動かすべきなのか書かれた書類を見つけるべきだと思ったからである。そういった類のものは見つからなかったが、ヒカリエがグレーの机の引き出しの奥から丸まった薄っぺらい巨大な紙を見つけたとき声を掛けてきたので私達はそれを囲んだ。

「これは地図だ。第三次大戦より前は国という巨大な共同体があって、これもその国を表したものだ。ここに赤い点で記されているのが、その時点で動いていた自動食料施設の一覧らしい。当時から減ってはいるだろうがそれでもそこそこの数があるだろう。そして現在において自動食料施設に頼らず生きていくことは不可能だ。つまりこれを全て残すことなく神奈川として初めて僕らの希望は達成される」

「これがここにあるってことは、ナルセのお父さんもこのミサイルは食料施設にミサイルを落とすのが合理的だと思ってたのかな」

見たこともない細長い世界の存在を疑うようにじっくりと眺めるツルカワはそういった。

「なるほどな、言われてみればその通りだ。だが何にせよ施設に対するミサイルの数が足りない。全てをこの場で終わらせるのは無理だろうな。それでまず、どういう場所にミサイルを打つのが正しいのか考えよう。打たなくてもいい場所には極力打たないほうがいい」

「打たなくてもいい場所って?」

「説得だよ。彼らにとってデメリットがなければ、別に神奈川であっても構わない、それが僕らのように希望となるなら喜んでなるという人々もいるだろう」

「逆に打つ場所は……」

「そうだ。説得に応じない場所だ。そして恐らくそれは、まだ戦争をやっている場所だ」

「戦争?もう終わったんじゃ……」

「もはや小競り合い程度だろうがね。町田紛争停戦合意後もまだやってるところはあると噂に聞いたことがある」

「しかしそんな場所、どう見つけるんです? 」

「自動食料施設間には付近の施設に対して故障時や災害時に救援を求める通信システムがある。とはいっても大した距離の通信は出来ない。となるともう出来ることは一つだけだ。」

ヒカリエは何か楽しげな表情で、大胆不敵な案を口にした。

「行くんだよ。」

 

 それからヒカリエに今長期的にマチダを留守にすると都合の悪いことがあるかと聞かれ、一つには母の心配と一つには工場の問題を挙げた。一ヶ月程度離れることは出来ないだろうかと彼は聞くので、まず母を説得した後工場へ出向くことにした。ツルカワはこれから天然の植物の収穫作業のためどうしても残らねばならないだろう、と言うので、せめても私が同行せねばならないと思い、気が向かなかったが老婆も説得するに至ったのである。地下室の会談の翌日、ちょうど老婆と私が一緒に修繕を行う日であったので、意を決して当たり障りのないところから声を掛けた。

「なあ婆さん」

「ちゃんとグランヴェリさんとお呼びなさい」

「分かったよ。グランヴェリさん。グランヴェリさんは、外の国からやって来たんでしょ? 」

グランヴェリ・マチダ=ミナミ。それがこの老婆の今の名前だった。私が言った途端、彼女は機械を濡れ布で拭く手を止めて首肯した。

「じゃあさ、海を見たことある?グランヴェリって何処の国の名前なの? 」

私も老婆の出自について詳しく知るところでは無かったが、噂に依ればグランヴェリが元の名前で、マチダ=ミナミの方はこの辺りに戦火で逃げ果せて来てから他人につけられた仮の名だという。逆に彼女のような人が大勢来たことで、私にもモディルミネという名前が付けられるようになったという。

「ある。海を渡って、陸を越えて、そのまた先の海を渡ったところが、私の生まれ故郷。でももう、どんなだったか忘れた。五十年も前だから」

グランヴェリはいつもこんな喋り方だった。ずっと、私の何倍もこの言語を扱う場所に住んでいたはずなのに、ぼそぼそと最小限で自分の伝えたいことを話していた。それはきっと、私を信頼していないのでなく言葉を信頼していないからだった。ひいては言葉を伝えるべき世界全てかと思うと、結局私も信頼されていないことになるのかもしれないが。

「帰りたい、って思うことある? 」

「あんまりない。そもそも、もう海は渡れない。でもあの時の海は美しかった。私の名前。美しい、波と書く。そういう意味。」

あまりどういう意味なのかは分からなかったが、そんな無駄話をしているうちに余計話が逸れて機を逸してしまうように思われたので、とうとう本題を切り出した。

「あのさ、それでなんだけど。暫く休みが欲しいんだ。昨日も貰ってこんなこと言うのは悪いと思うんだけどさ。でもこれまでの分の休み、結構溜まってるだろ。それに俺がここを一人で動かすようになったらもう休みなんて一生取れないかもしれない。だから……」

老婆は予想外にすぐに許可をした。それから、また昔話をする時のように絶望をその瞳に浮かべて私へこう言った。

「やれることはやれるときにやりなさい。ここは私が見ておくから」

 

  外の遠い世界へ行くという途轍もない掟破りは首長であるツルカワの父の後押しもあってかこうして案外老婆にも母にも速やかに受け入れられた。旅立ちの日である翌日、母なる川の前には百名ばかりの見送りが列をなした。口々にやはり行くのか、死ぬなというので、たかが一ヶ月で大袈裟だと思った。なるべく持ち物を減らそうと本は一冊も持っていかないことを昨晩悩んだ末に決めたが、出発寸前に息を切らして現れたツルカワが自動食料に飽きたら食べて、と持ってきてくれたあの可食植物で出来た保存食を私は涙ながらに袋がはち切れそうになるまで詰め込んで、必ず帰ってくるからと約束をした。初めて一人で下る川は心細く、螺旋の前に立つ黒色の長い服を相も変わらず着こなすヒカリエを見たとき、とても父を殺したことを疑った男に抱くものではない得体の知れぬ安心感を脳が体に齎した。

「おはよう。じゃあ行こうか。まずは西を目指そう。北は食料施設が少なくて無人地帯の間隔が広いから、西で慣れてからの方がいい」

「しかしどうやってです? 昨夜本を見て昔の日本の大きさを確かめましたが、西へ歩いて帰ってくるだけで春を迎えるでしょう。とても一ヶ月では帰ってこれません」

「歩いて? バカ言うな、あれに乗るんだよ」

彼が指差す海の向こうの荒野に、ツルカワの父がくれた甘蕉という果物の色でべったり塗られた鉄塊にこの季節の夕焼け空が溶け込んだような帯を巻いた機械がいつの間にか置かれていた。それは平べったく何かに押し潰されたようなもので、最近何かで目にしたと思うと、すぐそばの海に似たようなのが沈んでいた。

「車だ。ここに来る途中で見つけたが奇跡的に動いた。歩くのより五から十倍の速さで移動できる」

「あの……あれ、どうやって動かすんですか? 本で読んだ車、というものは確か電気を定期的に与えることで動かしていたはずです。ちょうど僕らが食料を食べて動くように。電気が存在しない今、空腹になったらどうするんですか? 」

彼はけたけたと笑いながら車の方角へ階段を降りて向かい出したので私も急いで追いかけた。

「君は随分と昔の時代の話をするねえ。なんで食料が進化したのに自動車が進化しないと思ったんだい? 」

二人程度が乗れると見えたそれには堂々と神奈川中央と書かれていた。名前からして町田紛争の時の軍需品だろう。

「これはね、食料施設と同じように物質を何でも入れさえすれば永遠に動き続けるのさ。昔の人間はこれをデロリアンと呼んだらしいね」

「でろりあん? 」

「そういう車が出てくることを予言した映画の中でのこれの呼ばれ方さ。ああ、まず映画を知らないか! 君の楽しみは本だろうけど僕の楽しみは映画でさ、本は字を読むだろう? でも映画は動き続ける絵を見るんだ。分かり易く言うとね」

私には全く想像が付かなかった。絵が上下左右に動くのを見て何が楽しいのであろうか。

「まあ僕も持ってるわけじゃないんだ。トチョウって人がいてね。彼も自分の父親を三次大戦で亡くしていたから、可哀想に思って拾ってくれたんだろう。その人が昔から沢山持ってて、それのおこぼれに預かっただけ。君が本をお父さんから貰ったのと同じようなものかな。君もいつかトチョウに会って見せてもらうといいよ。何か特別好きな本はあるかい? 本と映画で同じ話をやっていることもあるんだ。時折失敗するんだけどね」

 

 私たちの旅は非常にシンプルであった。地図の通りに施設に行き、そこから通信設備を使い周囲のまだ自家発電での稼動が可能で使用中の施設とそうでない用済みで死亡済みの施設を振り分け、前者に神奈川県になるよう勧誘する、ただそれだけのことが続いた。私達は太陽の下で動き、星空に守られて眠る毎日を、どうしようもなく生きていた。しかしその単調な行為は決して退屈ではなかった。私の知らない世界を知るヒカリエという男は、私と同じく親を戦争に殺されたという事実と息絶え絶えの世界を変えたいという希望を持ってして合致し、次第に打ち解けていった。ツルカワの父の言葉を反芻して用心することはあっても、最早彼が父を殺した可能性についてなど次第に捨てたいと思うようになっていた。ある日車で凍えながらに眠ろうとした時、私はいつか本を書くことで三次大戦以前のような本の中の世界を取り戻したことを証明してみせたい、という馬鹿げた夢を語ったが、彼は一切笑わず真剣に、僕も新しい映画を見てみたい、それが僕の夢だと言った。優しい人間であり非常に聡明な彼が何者であるかは、閉ざされた口から少しずつ漏れ出るその悲惨な青年期に迫らねばならなかった。彼は両親を敵兵に殺害され、また自らも少年兵として徴兵されながら戦場を逃げ回り、終戦後は十二歳にして名族シブヤ家の家長に祭り上げられ、親戚筋から東京特区、マチダのような共同体がまた幾つか寄り合って生きている集団らしい、その責任者会議という面倒ごとを完全に押し付けられた。そんな折頼りにならない親族より余程可愛がって親代わりに育ててくれたトチョウとの出会いが唯一の幸福であったという。曰く、彼が居なければシブヤ共同体の首長などもうとっくにやめのたれ死んで居るだろう、と。そして父の遺志をトチョウから聞かされ、そのヒントに町田を掲示された彼が私達と出会えた幸福な運命が、また幾つもの見知らぬ共同体に幸運な希望を与えた。私たちの進むべき方角は完全に西で合致していた。それから西では二回戦争をしている地域と出会った。そして私とヒカリエは町田へ引き返し、無事で帰ってきたので泣くツルカワに会って、地下室でミサイルを打ち込んで双方を神奈川に強制的に取り込んで戦いをやめさせた。一か所は山がどちらの方から美しく見えるか、もう一か所は自動食料のどちらが優れているかが発端で戦争をしていた。実にくだらないと思ったが、ヒカリエは人によって大切なものは違うんだろう、と言った。だが最早戦争の当事者にとって、始まりの疑問点などどうでもよくなっていた。先細りする戦場ではあるが、特に後者の方は、オーサカとヒロシマを拠点として相当な広範囲において戦いを繰り広げていた。彼らの火種となった円盤状の自動食料については、ミサイルを撃ち込んだ後食すとどちらも食べたことのない味で私とヒカリエは大変興奮した。どちらも美味しいでいいじゃないか、というときつく睨まれたような気がした。その道中にあって帯状に広がった戦場の中で中立を貫いて唯一の平和を独自に保っていたオカヤマという最大の共同体には約二千名が住んでいた。私はそこで初めて本物の海を見た。本物の海には白く立つ波が押し寄せてきて、グランヴェリ、いや、町田美波が呆けた嘘つきではなかったということをここでやっと知った。そして本の中海が本当に存在したということにただ只管に感動して、私はずっとその涙を大海に注いでいた。海にはあまり入るなというヒカリエに海の向こう岸に大地が小さく見えたのでそちらへ渡るかと聞くと、そちらには人がいないと側にいたオカヤマの人々が伝承を語った。伝承の人はかつてあちらから逃げてきて、そこにはとうの昔に誰も住まなくなったらしい。曰く、施設が一日一時間しか稼働せず、しかもおまけにどの施設からも白い柔らかな物体しか出てこないので住むのをやめたという。私は少し海が怖くなった。私達はそれからも西進を続けた。そのさきで徐々に稼働施設の数は減り、数日のうち見つかったのは僅か二つだったが、そのどちらもが全てを受け入れ、最後の施設に辿り着いた時、私達は旅の終わりとしてまた壁として横たわる海を見た。だが明確に異なったのは、オカヤマの時より遥かに近く、人の息のしそうな陸地が存在するということだった。私は未知なる大地を指差して聞いた。

「ねえヒカリエ。あっちの陸にはまだ人がいるのかな」

「分からない。しかしあっちには多分いるだろうな」

「じゃあ行こうよ」

「それは無理だ。あそこには行けない。僕たちには、あそこへ渡る術がない」

何か少し苛立ち交じりのヒカリエの発言に困惑していると、生まれた沈黙に困惑した彼は穏やかな声で諭すように話し始めた。

「君は本当に海を知らないんだな。少し昔話をしようか」

彼は黒色の壁に腰掛け、ぼんやり遠くを眺めてそういった。隣に座るように手で促されたのでそれに従って耳を傾けていた。

「君のお父さんと僕の父親が死んだのは、少し前に話した通り町田戦争という戦争だ。だがその前に二つ戦争があった。それは知ってるだろ? 」

「第三次大戦と、第四次大戦? 」

「その通りだ。実際には第四次大戦に町田戦争が含まれるという声もあるが、歴史家はとうの昔に消えたからね。そんなことは僕らにはどうでもいい。ところで、第三次大戦で使われた武器は何か知っているかい? 」

 「世界を終わらせる強力な武器……電気を止める武器、だったはず」

「そうだ。電磁パルスってやつだな。でも考えたことはないかい? それじゃあ人間を一挙に、そして瞬時に殺すことは出来ない」

言われてみればその通りであった。むしろなぜ今までそんな簡単なことに気づかなかったのだろうと恥じ入っている間にヒカリエは話を続けた。

「答えは毒だよ。毒を戦いに使うというのは遥か昔からある。植物には毒を出すものがいて、その毒を塗った物で人を突き刺すというのは、もう何千年という悠久の時代に既にあった。それを効率化する悪魔の所業も、約二百年前の第一次大戦でも編み出されていた。だが三次大戦ではより効率化された。人間はそれをウイルスと呼んだ。そしてそのウイルスは世界中の海を汚したそうだ。こうして人間が海に足を踏み込めなくなるほどにね。もちろん海を渡る道具は全て電磁パルスでお釈迦さ」

彼はその辺に転がっていた鉄屑を出来るだけ力を込めて海へと投げ捨てた。衝撃を受けて跳ね返り立ち上がる水と共に、異常な力で瞬間的に消えたかに見えた鉄の慣れ果ての煙が空へ昇り、私に深い絶望を与えた。

「それで戦後に人類はチューブで毒の海を渡れるよう必死に建設を進めた。海進航路……巨橋ともいうけどね。あれは人が生み出した最後から二番目の正しき遺物さ。だがもうそんなものはどこにもない。三次大戦で食料施設を破壊された難民が稼働中の施設のもとへ押し寄せて四次大戦が起こされた時、難民の流入を食い止めようと全ての航路は破壊された」

「じゃあここも? 」

首をゆっくりと縦に振った彼の顔は慈愛に満ち溢れていたが、遠くを見据える目だけは遥かなる怒りを失っていなかった。

「この街の海には恐ろしい毒魚が住み着いているらしい。僕らと違えて毒を生きれる奴はいるが、僕らはそうじゃない。不思議だろう。こんなにも綺麗な海が、僕たちにはこんなにも残虐な事実を教えてくれるんだ」

私は初めて海を知った。この現実は、父が語る海、本で読んだ海の両者を矛盾を満たさず合致した。しかしそれは、私が思い描いていた海の理想を、完全に破壊し尽くした。帰ろうか、と車へ引き返す彼のいつもより丸まった背中と、死の海の向こう岸とを交互に見てから私も彼を追って歩き出した時、その歩数の分だけ私はこの世界を正しく戻さなくてはならないという決意を固くしていったのだった。

 

続く