月を旅路の友として

大学生です。旅行記と、140字じゃ収まらないネタと、色々。

浄土と地獄と波の上 北海道周遊旅行-2日目(2019/08/01)

 気がついたら日本史が好きであった。小学生の頃に好きあるいは得意な科目が社会であった場合、ほんの一握りの秀才になるか手の施しようのないオタクに育ってしまうことが一般論として知られているが、僕は後者であった。国語と算数と理科を消去法で消したから社会が残された訳でもなく、理由もなく僕は社会が好きであった。中学までその手の教科の名前は全て「社会」で統一されている。平成27年度神奈川県公立高校入試の社会科の問題で答えが「もち」になる問題が出題されこれによって人生に係る点数を得た時、僕はこんな教科を好きになってしまってこれからの人生どうなってしまうのかと思ったものだが、今のところどうしようもない人生なので4年前の自分の慧眼を褒めざるを得ない。高校に上がってからは「現代社会」「倫理」「政治」「日本史」「世界史」「地理」「公民」など、社会はイーブイばりの分岐を遂げる。ただイーブイと違うのは進化ではなく専門性が増すことにある。例えば一年生の時に必修だった現代社会という科目は現代の名の通りシステム面に迫り面白いものがあった。テストは教科書を全て覚えればよかったので、僕は全ての授業で居眠りをしたにも関わらず成績は10段階中10だった。試験の全科目通算順位を底上げしていたのも現代社会である。しかしそのことに初めて気がついたのは2年生で現代社会がなくなり定期テストの順位が大きく下がった時のことであり、「現代社会、お前だったのか……いつも順位を上げてくれていたのは」という兵十みたいな感想を抱いたのも覚えている。とはいえ2年になってからは日本史という教科があり、現代社会に代わる新たな得意科目となり、受験に際しても世界史ではなく日本史を選んだ。中学の社会は基本的に日本史がメインなので馴染み深かったのもある。浪人の時のセンター試験は満点だったし、東大の記述試験も75%近く得点できた。これは単純に日本史が好きだったということが強いと思われる。だがどうしても最後まで好きになれなかった分野がある。仏教史である。

 日本の文化史と仏教は切っても切り離せない。試しに参考書か何かの文化史のページだけめくってもらえばわかると思うが、バカみたいに土器と古墳ばっか作っていたかと思えば我々の祖先はいつの間にか寺をおっ立て始める。ありがたい仏像も作るようになる。寺の方はまだしも、この仏像が受験に際して厄介なのだ。文化の時期によって微妙に異なる仏像の種類を見分けなくてはならない。同じ時代の仏像であっても製造方法が異なる場合もある。これらをきちんと覚えなくては得点にならない。「ちがいますよー!」「これだからしろうとはダメだ、もっとよく見ろ!」とか言われそうなものだが、わからんものはわからん。しかしセンター試験では頻出の分野なので避けては通れない。その大半は仏像の写真とその仏像の特徴を結びつけるものである。裏技としてセンター試験は教科書の範囲からしか出題してはいけないというルールがある上著作権の問題もあるので一応全ての認定教科書に出てくる仏像の写真を覚えておけば良く、未知なる仏像が突然冬のセンター会場でGANTZみたいに大暴れする可能性はない。そういう訳で、多くの受験生は結果的に教科書に出てくる仏を認識する仏像個体識別マシーンとなる。これはまだマシな方で、マニアックな仏像を平気で聞いてくる難関私大を受けた友人Rは「はじめての仏像」みたいな雑誌を買っていた。これに関しては僕もあまり知るところではない。おそらく初回限定版は螺髪が付いて特別価格380円とかなんじゃないか。とまあ、仏教史とは角も受験生を壊すものであった。僕もセンター直前はベルトコンベアに流れてくる仏像を正しい場所に置くみたいな暗記をしていた気がする。センター満点はこの賜物とも言えるが、同時にそんな方法では一瞬で忘れてしまうのだ。現に僕は翻波式が何時代の特徴か忘れてしまった。

 

2019/08//01

  平泉は奥州の中心に位置する。東北本線としては一ノ関と盛岡の間にあり、寄ろうと思えばいつでも気軽に途中下車できるのだが、いつかいつかと思っているうちに何年も経ってしまったのでこの機会に訪れることにした。なんといっても世界遺産に登録された観光地である。奥州藤原氏の頃の仏教建築や遺跡やらが大量に残っていることが理由であるから、日本史履修者として訪れたいという思いは以前より強かった。

 朝の仙台市営地下鉄は通勤ラッシュに揉まれ、それとは一変して東北本線下りは旅人も多く、二時間半ほどかかって僕はとうとう平泉に着いた。循環バスを使おうかとも思ったが曇りなのでそこまで気温も高くなく、自転車を借りることにした。

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寄った道の駅で腹ごしらえしようと色々物色していると、棚の取りやすいところにあったので買ってみた。岩手や宮城の郷土菓子である「がんづき」である。見た目は茶色くて地味に見えるが、ふんわりしっとりした食感に黒糖の味が広がって甘党には嬉しい。一つ欠点があるとすれば、デカすぎる。隣のラムネと比較すればいかにデカいのかがよくわかる。200円なのにサイゼで1200円使ったぐらいのボリュームがあった。逆に言えばコスパは最強である。この朝ごはんは昼ごはんを兼ねた。再び中尊寺へ向けて自転車を走らせる。

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無量光院跡は本当に跡でした。何もない。建て直すという話もあるとか。

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中尊寺に着いた。寺とは言っても一般的に思い浮かべるようなものではなく、丘陵の上に幾つか堂があり、どれも行くには月見坂と呼ばれる結構な急坂を登らねばならない。雲はもう切れて時折直射日光が当たると堪らなく暑く、斜面に足を伸ばすたび汗が噴き出た。本堂まではかなり距離があるので、色々見て回りながら登っていく。

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月見坂をメインストリートのようにして折れた小道の先にこういった具合の子院が点在する。子院といえど十分立派で風情もある。

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だいぶ登ってきたようだ。展望台のような場所に着いた。東北本線下り貨物が北上していく。あの荷物も北海道に行くのだろうか。

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本堂へ辿り着いた。麦茶を買って一休み。

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お参りも済ませる。手水の波紋が涼しげで良い。さらに奥に進むとかの有名な金色堂があるのでまた歩き出す。

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コーラで一番美味しいのは瓶のやつである。

金色堂の拝観料は併設の資料館である讃衡蔵とセットになっている。流石に国宝なだけあってお値段もそこそこするので、あるとも知らなかった資料館にも入ってみることにした。(ここから先は金色堂まで撮影禁止なので日本史の資料集でも見ていてください。)讃衡蔵の名は少し日本史Bを齧っていればすぐ連想出来ると思われるが、奥州藤原氏に共通する字である「衡」を「讃」える「蔵」という訳だ。国宝の仏像群や藤原氏の副葬品などが展示されている。薄暗い照明の建物内に入って早々、あの忌まわしき、僕を苦しめた大仏たちが現れた。三体横一列に並んだ三メートル近い巨像はしかしそのなんと厳かなことか。資料集のせいぜい3cm四方程度では絶対に伝わらない圧がある。そしてあれだけ嫌いだった仏像ごとの違いも面白い。如来を覆う布の表現方法なんて昔は考えたこともなかったが、一度気になると止まらない。

 順路に沿って進んでいく。説明の札に当然のように「国宝」とか書いてあるのでだんだん価値観がおかしくなってくる。幾つかはレプリカであるが、一枚ガラスを挟んだ向こうには人間の一生何十回分もの時間を越えてなおその形を留める大量の宝物がある。特に紺の紙に金で経を宝塔の形に書いたものは特に美しかった。これで入場料800円は安すぎる。

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これがその「金光明最勝王経 金字宝塔曼荼羅」である。中尊寺公式HPより拝借。

何気なく通り過ぎてしまいそうな小さな副葬品も面白い。例えば、「鹿角装鞘残欠」の説明はこうである。「その文様といい装飾様式といい甚だ異風であり、奥州藤原氏と北方世界との繋がりを想起させる遺品である。」平泉に来たの初めてだが、なんだかどこかで見たような文言である。どこでだ?とも考えぬうちに、イキリ過去問オタク受験生としての記憶が半年ぶりに脳内に戻ってきた。東京大学2013年日本史第二問。「(1)1126年,藤原清衡は,平泉に「鎮護国家の大伽藍」中尊寺が落成した際の願文において,前半では自己を奥羽の蝦夷や北方の海洋民族を従える頭領と呼び,後半では天皇上皇女院らの長寿と五畿七道の官・民の安楽を祈願している。」繋がった。自分が解いた過去問の証拠が目の前にある。なんとも不思議な感覚である。他にもこのような説明があった。「奥州藤原氏は京の摂関家や寺院に貢金していた他、宗版一切経の購入に砂金10万5千両を費やしたと伝えられる。」過去問の設問はこうである。「A 奥州藤原氏はどのような姿勢で政権を維持しようとしたか。京都の朝廷および日本の外との関係にふれながら,2行以内で述べなさい。」最早答えですらある。

 ふと中学校の京都・奈良の修学旅行を思い出した。初日が奈良だった。まるで京都の前座のような扱いを受け、同級生から素通りされていく寺の数々。しかしそう強く言えるほど僕も熱心だったわけではない。中学三年生は寺を見るよりも夜の宿で騒ぐことの方が重要なのだ。だが今になったからわかるのだが、知ってから見るとそれまでとは楽しみ方が何倍も変わる。一問一答で暗記して毛嫌いしているだけでは分からないリアルがちゃんとある。勉強したことが旅を豊かにしている。逆に、旅が勉強したことを面白くしてくれる。そう実感した。

 勿論共通の入場料を取られているし、せっかく来たのだから金色堂も見なければならない。鉄筋コンクリートの建物の中にスッポリと覆われているのは興醒めだが、実際対面するとそんなことはどうでもよく感じる豪華絢爛ぶりであった。中には奥州藤原氏四代の遺体が収められている。本当に紙や電子画面では伝わらないほどに黄金が光り輝いている。それに螺鈿とはあんなに華麗な白色に光るのか。文字列だけ覚えて本物を素人も知らなかった自分を恥じたい。とりあえず、家に帰ったら教科書の挿絵に小学生が使いそうなラメ金のペンで色を塗っておこうと思った。

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 再び自転車を進ませ、毛越寺へやってきた。庭園も長閑で良い。一人で虚しく御神籤の大吉に喜び、水の流れを聴く。今までの旅行で時々庭園も見てきたが、その中で最も古く、最もシンプルに見える。平泉はかつての時代、浄土、つまり仏などが住まう清浄な土地の具現化を目指した場所である。そんなこと出来るわけないだろ、とは思うのだが、この庭園にいるともしかするとここがそうかと思わせる魔力のようなものがあった。

 まだ電車まで時間があるので、巡回コースの中で行き逃した高館に寄ってみることにした。義経最期の場所とされている。そのため、義経の像が祀られた堂や、小さな資料館のような場所もある。

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この仁王像も北方文化の影響を受けているという。確かに顔つきや体つきに馴染みが薄い。写真ではコミカルな雰囲気すらあるが、実際に対峙すると得体の知れない何かに睨まれているようで滅茶苦茶に怖かった。換気扇とのミスマッチも不気味である。

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かの有名な「夏草や兵どもが夢の跡」はここ高館で詠まれた。馬鹿と煙は高いところへ上るとは良く出来た言葉であるが、僕は煙ではないので馬鹿である。今は山の裾野に現代のありきたりな家々が立ち並び、川の左手では大規模な工事をしているので、夢の跡というのもおかしな話ではあるが、芭蕉が十七音に納めたこの地の歴史の流れは今もその言葉と風景の中に息づいているような気がした。これにて巡回は終了だが、寄り道コースに含まれたていた達谷窟毘沙門堂猊鼻渓にまで随分遠いとはいえ足を伸ばせなかったのが残念である。中尊寺もやや駆け足気味になってしまったし、もっと勉強をした上でまた訪れたい場所である。ちゃんと仏像鑑賞ができるようになって出直したい。

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 ここまでの旅のお供である。大変お世話になった。やはり電動自転車は楽で良い。ほとんどの貸し自転車屋は差額料金をつけているが、僕のようなぐうたらにとって坂道を楽に登れることを考えれば100円足すことなど安すぎるくらいだ。駅前に返した。規定の4時間を15分ほどオーバーしていたので別にお金を払うはずだったが、自転車屋の気のいい爺さんが何も言わずに時間をちょろまかしてくれていた。冷やしたおしぼりまでくれた。感謝。

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 平泉からは臨時の快速であるジパング号に乗る。自由席なので追加料金も要らないが、当ブログにも度々出てくる485系の原型を割かし留めるもので、ふかふかの椅子にリクライニングが着くだけで快適である。指定席もあるが、固い木の直角な椅子が窓を向いて並んでいたので、座り心地でいえば自由席の方が絶対に良いと思われる稀有な列車だ。穏やかな昼下がりの陽光が車内に射す時分、水沢北上花巻矢幅岩手県を順調に北上してあっという間に列車は盛岡に着いた。

  田沢湖線からの列車だろうか、向こうのホームの二両の普通電車から吐き出された客の中に浴衣姿の人が多いことに気がついた。階段を登り、跨線橋を歩き、改札を抜けても、やはり多い。赤、紫、青、色とりどりの地の色に合わせ咲いた柄の花が鮮やかで見事である。緩い夏の夕方の空気の中で下駄が軽い足取りに鳴らされ響き、改札前には誰かを待つように俯く者もいる。爽やかに騒がしい夏祭り前の有り触れた、しかし特別な情景である。駅前の大通りで店に貼られたポスターを見て合点が行ったが、今日はさんさ踊りの初日だそうだ。なるほど人出が多い。県庁舎の通りへ人々がぞろぞろ進んでいく。少し見てみたくもあるものだが、十八時スタートでは次の電車に間に合わない。僕はその流れに反して横へ逸れ、ある焼肉屋のドアを押した。ぴょんぴょん舎とは可愛らしい名前だが、イーハトーヴの味を騙る店内は随分と洒落ていた。

 雰囲気に乗せられ奮発してセットを頼んでしまった。一人焼肉がなんだ。八人掛けの円卓で相席した残りの二人など、どうみても定時帰りのサラリーマンが一人で肉を焼いているのだ。旅をしている自分など恥ずべくはずもない。

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まず肉、その後に冷麺がやってくる。肉は七枚に切られて運ばれてきた。一枚も無駄には出来ない。冷麺が到着するタイミングを逆算して肉を炎の揺れる鉄網へと載せていく。時間差を設けて、全ての肉がベストなタイミングで食べられるよう順々に火を通していく。裏返すタイミングも抜かりなく。運ばれてきたタレは一種類しかない。完璧に出来上がった肉をタレに通し口に運ぶ。柔らかい肉は舌の上でホロりと溶けていく。やや辛味のあるタレが効いている。幸せ。このために人間は生まれてきたのだ。もう一枚。幸せ。僕の好きなアニメに主人公の宿敵が焼き肉を主人公の身内に振る舞うシーンがある。宿敵曰く、「若いうちはとりあえず肉だ。肉を食っていれば、人間は幸せになれるぜ。まあ若造でも老人でも、人生に悩みは尽きないが、しかし美味しい肉を食えばそんな悩みはすべて解決するのさ。 」だという。僕はこの台詞に大層共感した。

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 七枚全て食べ終わった頃に冷麺が運ばれてきた。スープは血の池のように赤く、半透明の細麺は絹のように美しい。盛岡冷麺は嫌味のない辛さをしている。自然にかき込めるくせにしっかり辛い。冷たくつるっとした麺に汁が絡むとたまらなく美味しい。それに具の全てが良い。辛さのなかにほんの少し本来の甘さを見せる西瓜など、奇抜に見えてベストではないかと思える。血の池地獄は池の水全部抜いてみた後になり、池の底からは何も発見されず、次来たときは大盛りにしようと思った。

  盛岡から先はJRではない。昔はJRの路線だったのだが、同じ区間に新幹線が出来た二千年代初頭にIGRという第三セクター路線になってしまった。よってここから八戸までは「18きっぷ」では乗れない。(ただし、八戸から青森までも第三セクター線ではあるが、こちらは途中で一度も下車しない限り「18きっぷ」が使える、という特例がある。)もし「18きっぷ」を使うならここは別途運賃が三千円近くかかる。一方で今回使っている北海道東日本パスならばこの区間を追加料金なしで突破できる。ここにこの切符の強みがある。

 後ろのボックスに中学生が陣取っていた。他のボックスにもその仲間と思しき子供が多い。僕は一目見ればわかるのだが、どこかの鉄道研究部だろう。なぜわかるかと言えば、僕も昔そうだったからである。彼らも八戸で降り、八戸線に乗り換えて本八戸で降り、フェリーターミナル行きのバスを待っていた。行き先は同じ北海道か。随分とはしゃいでいて、高校一年生の頃の僕とどうしても重ねて見てしまう。きっと人生で初めての北海道、いや、人生で初めての遠出という子もいたのではないだろうか。彼らの辿る道は、僕の辿った道である。ひとつ違うとすれば、北海道入りする手段だろうか。

 二千十五年当時、北海道新幹線というものはまだなかった。青函トンネルはごく普通の在来線の特急が行き来する区間であり、青森駅が対北海道の本州側の拠点であった。朝から晩まで昼行特急である白鳥が海底を飛んでおり、青森十九時五十四分発の「特急スーパー白鳥27号」が時刻表上の終電のように見える。しかしその二時間近く後に一本の夜行列車が走っていた。それこそが、「急行はまなす」である。赤の電気機関車十両近い青の客車を牽き一夜かけて札幌まで毎日運行していた。二十二時十八分発、六時過ぎ札幌着。道路がない青函区間を挟むため競合の夜行バスなどもなく普段使いの人も多かったし、急行列車は北海道東日本パスが運賃の代わりになるという実質はまなす号だけのための特例もあったため旅人に大人気であった。湿度百パーセントの海底トンネル専用に改造された機関車は国鉄時代からの継承で悲しい汽笛を鳴らすものであり、使われる客車は満身創痍、塗装も剥げ錆の茶が痛々しく車内も古臭かったが、その雰囲気の良さたるや、忘れられない。そして忘れたくないのは、それがもう失われてしまったからである。新幹線開業に合わせ、惜しまれつつも廃止された。そのため夜行で北海道入りする手段は現状フェリーしかない。大洗・仙台などの港からも苫小牧行きは出ているが、貧乏大学生にとって八戸港からのシルバーフェリーは非常にありがたい存在である。なんと二等の雑魚寝は学割で四千円なのだ。それぞれの港と駅の間にかかる交通費を含めても五千円を切るし、寝床に運賃付きと考えれば破格の値段ではないだろうか。

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予約した紙を受付に見せてQRコード付きの乗船の切符を貰う。普段滅多に乗らないものだけに気分も高まる。

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ちょっと昭和な香りのする乗船口を抜けていく。出航三十分前。

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荷物を二等寝室のロッカーに置いて、デッキまで上がってきた。多くの人が出航の瞬間を見ようと手摺に張り付くように集まっている。携帯で動画を撮る人も多かった。作業員が合図と共に舫綱をボラードから外すと綱は瞬く間に船体に仕舞われた。二十二時ちょうど。ゆっくりと動き出し離岸した。港や、街並み、工場群がどんどん離れていく。あと九日は本州には戻ってこない。離れていくごとに実感が深まる。八戸の丘陵に灯る明かりの群れは幅を持って岬の方で果てるまで一振りの剣のようになって輝いている。その光が視界から消え、名残を惜しんでデッキを後にしたとき、まさかこの後徹夜をすることになるとは夢にも思っていなかったのである。

 

続く