月を旅路の友として

大学生です。旅行記と、140字じゃ収まらないネタと、色々。

二度あることは、三度ある 北海道周遊旅行-1日目(2019/07/31)

 その日が暑かったのか、あるいは涼しかったのか、残念ながらもう記憶に残っていないのだが、夏休み前に登校する最後の日だったのだからきっと暑かったのではないだろうか。白いコンクリート造の校舎三階の廊下には西向きに面した大窓が定時制の教室が終わる遥か向こうのパステルカラーの壁の方までずらっと並んでいた。そういえばそんな硝子の向こうで空色の富士が恰も丹沢山系を統べるように聳え立ち、さらにはそれを凌ぐ高さまで入道雲がもくもくと立ち昇っていたような気もするから、やはり晴れていたのだ。見晴らした辻堂と茅ヶ崎の背の低い街並みの向こうに、白い砂と青い海が広がっていた、何気ないある夏の日。だとすれば僕は間違いなく、白の半袖Yシャツをいつものようにズボンに仕舞わずだらんと着崩して、昼下がりのその廊下をひとり心弾ませて歩いていたはずだった。三階は二年生のフロアなのだが、西側の廊下は理科の実験の時間に使う化学準備室と、理科の教員が職員室とは別に持っている宛ら溜まり場のような小さな部屋があるだけで、まあ有り体に言って普通の生徒が来る場所ではなかった。三年生が過ごす四階は設計上西に面した廊下がなかったから、学年が上がったあとは夕暮れ時によくそこで薄く朱色に染まった空と富士をぼんやり窓に腰かけて眺めることになるのだが、そんな余裕もなく毎日に必死だったあの頃の僕は、一階にあった自分の教室からようやく辿り着いた化学準備室のドアをガラガラと引き摺って開けた。それからなんとも言い難いあの臭いに鼻が慣れるほどしばらく待った後で、理科室から実験でもないのに白衣を纏った顧問が現れて、Yという先輩が僕と、僕と同じようにあの部屋にいた人たちに小冊子を手渡したのだった。鉄研合宿、と題されたその小冊子こそが、僕が人生で初めて北海道という地へ導かれるための旅のしおりであり、僕が旅行というものに人生のある程度の部分を捧げることに重要な要因となる、ある一つの旅の行程が記されているものだった。2015年7月21日、高校一年生だった僕はあの場所で、北の大地への切符を手に入れた。

 

2019/07/31

 この日もまた、夏休み前最後の登校日であった。登校する場所が公立高校から国立大学に変わったという点は四年間の時間の流れを偲ばせるものだが、ともかくこの日の英語一列の期末試験終了をもって、晴れて僕の五十日近い夏休みが始まることとなったのだ。英語一列の試験は晴れなかった、というか、浮かばれなかったが。しかし今更そんなことは気にしてたまるものか。僕はこれから、またあの夏と同じように、北海道へ旅をする。人生で三度目の北海道へ、そして、今までの二回では行けなかった、遠く、果ての場所まで。

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あの時と、同じ切符で。

青春18きっぷ」が安く移動するのには有名だが、この「北海道東日本パス」は地域と時間を限定すればより強力な切符である。文字通り利用可能なエリアは北海道と東日本に限定される。「18きっぷ」が五日、あるいは五人分有効であるのに対し、北海道東日本パスは七日間有効である。ただし連続した七日間である必要があり、誰かとシェアすることはできない。その他いくつかの差異はあるが、千円ほどこちらの方が安いというのも特徴である。連続した日付で北の方へ旅行するならば、「18きっぷ」よりこちらの方が得なのである。特に北海道に行くとなると、ある理由で圧倒的優位に立つのだが、それは二日目で述べることにする。ちなみに、この数日前に青森まで往復しているので、もうすでにこの切符は元を取り終えていることになる。

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腹が減っては旅行も出来ぬ。昼ご飯は行きつけの油そば屋で。

 今晩は仙台に住む友人の家に泊まらせてもらうこととなっていた。彼のバイトが遅く終わるというので、首都圏で出来るだけ時間を潰してから東北本線を北上することにした。折角乗り放題の切符を持っているので暇潰しと言ってもやることはそこそこ決まっている。

 首都圏の路線のうち、特にまだ乗っていない路線は以下に示す通りである。

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赤色が既に乗った路線、水色がまだ乗ったことのない路線である。現在時刻が十三時、仙台に最終で着ける東北本線は赤羽を十六時四十五分に発車するので、そこまで遠くには行けない。例えば房総半島の輪郭を描く赤線の中に囲まれた久留里線や、左下の方に残っている横須賀線は少し難しいかもしれない。ならば現在位置に近いところから着実に潰していくのみである。山手線などまるきり残っているようなものである。これは間違いなく乗ったことはあるのだが、しかしいつどこを乗ったのかが分からない以上記録には残せない。こういうところを正確に丁寧に潰していきたい。秋葉原から東の方角に伸びる総武本線錦糸町までの区間もこの機会に乗っておきたい(というより、乗った日付を確実なものにしたい)し、やや千葉の方に入った船橋デルタの方も乗りつぶしに行ってしまおう。

 山手線外回りを半周するように油そば屋のある代々木から秋葉原まで抜け、そこから総武線の各駅停車で西船橋を目指す。あとは三角形をぐるりと回って、武蔵野線で浦和の方へ抜ければ良い。テスト終わりの睡魔の中、寝るに寝れない距離が続く中で、汗臭い秋葉原で乗り換えたりなどしながら西船橋へ着いたのだった。 

 デルタ線というのは文字通りΔの形をしている。日本では珍しい。しかもその大半は貨物列車の支線や操車場・信号場などの類いが持つ形状であり、純粋な旅客用の線路としてはかなり数も限られる。

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このようになっている。西船橋から左下方向へ伸びるのが高谷支線、右下方向へ伸びるのが二俣支線と名前が付いているが、あまり知られるところではない。

西船橋から市川塩浜西船橋から南船橋は路線としては東京と蘇我を一直線に結ぶ京葉線の扱いであるが、実態としてはどちらも武蔵野線の列車が直通している。南船橋が終点となるものか、市川塩浜の方へ行くものは東京を終点とする列車がほとんどである。書いていても思うが単純なように見えて結構面倒なので、これらの駅には行き先を間違えぬよう多くの注意書きが貼られている。

 まずは西船橋から南西へ伸びる市川塩浜の方へ行く。首都圏の一区間にしては六分ほどかかるので長い気がする。住宅地を高架で通り過ぎ、川沿いに引き込まれた工場群が臨海部であることを知らせてくれる。湾岸道路と交差してすぐ京葉線の本線と合流し、高谷の埋立地が海に浮かぶのを眺め、江戸川を越えるとすぐに市川塩浜の駅である。三角形の底辺部分に乗るため、ここで一度下車する。

 市川塩浜駅は東から来た風が西へと心地よく流れ抜けていた。特にこの辺りの風の強さはすぐに電車を停めてしまうことで折り紙つきだが、ここに吹く風は磯臭さを混ぜた潮風とも肌にべたつく熱風とも違う、良い風である。風に吹かれていたら待っている列車はすぐにやってきた。赤いラインが入った電車が京葉線である。

 南船橋で降りようとすると、小さな青い日傘の忘れ物を見つけた。同じくここで降りた40過ぎぐらいの女性が座ったあとだったから持って追いかけた。声をかけたが、違う人のだという。どうしたものか。無性に恥ずかしくなって立ち尽くしていたが、ちゃんと駅員に届けた。ちゃんと持ち主の元に戻れば良いのだが。

二俣支線は二十分に一本しかない。先ほど乗った高谷支線も二十分に一本だったので、この時間帯の武蔵野線は合わせて十分に一本のペースで走っていることになる。

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 ベイエリアの巨大な集合住宅地に住んでいる人たちだろうか、乗客は十分ほど前からそろそろと並んでおり、発車するときには意外にも席はもうほとんど埋まっていた。駅員が何やら放送をしている。今日は花火大会だから、空いている今のうちに帰りの切符を買っておけということだ。そういえば浴衣姿の人が多く見受けられる。テストが終わった途端夏らしくなってしまって、関係もないのに休み気分も高まる。 

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向かい側にも線路がある。あれが先ほど乗ってきた市川塩浜方面へと向かう支線である。

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 少し時間を持て余し気味だったので、西船橋駅で降りて散歩をした。南口で降りると思いの外閑散としていた。その代わりに、写真のような、ちょっとそそられる店がいくつか並んでいた。また来てみたい。武蔵野線で東京の外環をぐるりと埼玉へ反時計回りに進み、南浦和、浦和で乗り換え、東北本線に乗った。ようやく北上の軌道に達した。

 

 列車の窓に雨が強く打ち付ける音で目が覚めた。そして終点であった。宇都宮駅前の入れ換え場はしっとりと濡れ、雨音が静かにホームの屋根の下まで伝わる。 時々遠い雷の音が聞こえた。アイスココアをちびっていたら出発十分前なのに乗車列に人がわらわらと並びだした。どうにもスーツに身を包んだ人が多い。そういえば帰宅の時間帯だろうか。家路に着く人々の中に紛れて僕だけがこんな時間から仙台を目指しているのだと思うとおかしくなってしまう。

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 曖昧な色に染まった東北本線を進んでいく。この時間帯の北上は初めてだが、一本でも電車の時間が違えば大きく風景は異なり、まるで初めて乗るかのような感覚を抱かされる。初めて北海道へ行った高校一年生の時、この辺りは朝に乗った。初めての遠出らしき遠出に気分も高まり、その日の晩に着いた青森まで一瞬だったことを今でも覚えている。それに比べて今となっては、やはり慣れというものか、ゆったりと落ち着いて旅行できるようになってきた。昔は電車に乗ってばかりだったが、ちょっとは観光する余裕も出てきた。

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 夏の日が沈んだが、まだ栃木にいた。二十三時二十二分仙台着予定。先は長い。

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 黒磯駅では上り貨物列車が停車していた。ライトを点けたままで、若い運転手ともう一人、指導役のような人が運転席にいた。ただお互い、機関車とともに前だけを見据えている。こういう格好よさに惹かれて鉄道好きを続けている。

 新白河で一度降りた。改札窓口の駅員の軽い東北弁訛りが気になった。この気になると言うのは、癪だとか鼻に触るとかではなくて、むしろ小気味良いとか言うレベルの話だ。どこからが東北弁なのかについて詳しい定義はわからないが、僕が知る限り最も東北弁の特徴を保ったまま聞き取りやすいライトな東北弁だった。グラデーションのように方言が濃く、「方言らしく」なっていくのだろう。徐々にではあるが北へ進んでいることを実感させられる。白河の関が奥州の入り口というのは、今も変わらないのかもしれない。

 何本かの電車を乗り継ぎ、郡山で電車待ちの間、バイト先からの電話に出て一度日常に引きずり戻されたが、磐越西線会津若松行きが、磐越東線小野新町行きがそれぞれ次々に発車し、乗っていた福島行きもホームを出た。行き先というのは面白いもので、まだ辿り着いていないのに気持ちだけを遠い目的地に引っ張っていってしまう摩訶不思議な力を持っていると思われる。ちなみにバイトは長期欠勤の申請を事前に済ませてある。当たり前だ。あと十日も空けることになるのだから。

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 福島と仙台の間はほとんど眠ってしまっていた。一日も終わりかけた時間に仙台につき、市営地下鉄に乗り換えた。何故かパスモが使えなかった。たった二年も前は、二十三時より後に外を出歩いただけで補導されていたのに、今ではよく知らない街を歩けるということに、ふと自分が大学生になったことを実感する。そんなことを思いながら友人宅の最寄の駅に降りた時、自分がどこにいるのか一瞬理解出来なかった。Googlemapに頼ろうかとも思ったが、この頃僕の携帯のは何故だか現在地情報が読み込めないし、通信制限に引っかかったおかげで地図はろくに読み込めやしない。彼の家には一度行ったことがあるし、そこから仙台の駅まで歩いたこともあるから、大体の地図と感覚は分かっているつもりだった。目印になりそうな電波塔や橋などを見つけ、適当な方角へ歩き出す。だがこの時点で全て間違っていたのだった。僕は、自分が実際に降りた駅の一つ手前の駅から彼の家に行く方角で歩き始めたのだ。彼の家はその二つの地下鉄の駅の真ん中にあるから、そんなことをしたら地球一周しないと辿りつけやしないのだが、僕はしばらく杜の都を彷徨っていた。街灯もまばらにしかなく、道は真っ暗である。鬱蒼と茂る森が不安を掻き立てる。歩いて十五分ぐらい経ったところで、僕は自分が迷子であるということを認識した。青葉城址を駆け抜け、大学植物園の行き止まりのロータリーに辿り着いた時、最早どこにも帰れはしないのではないかという気がしていた。微かに見える橋を渡ってしまったら先の見えない対岸からはもうこちら側には戻れなさそうな気がする。日付を回ったのに何故か停まっているタクシーは全て予約車で、辺りを見回してもどこにも他に人などいなかった。世界から分断されてしまった気分であった。相変わらず地図は読み込めない。結局一旦地下鉄の駅に引き返してから自分の思い違いに気付けて辿り着き泊めてはもらえたのだが、思えばここから十日間は、この迷い込んだ夜を境にどこか異世界を漂流していたのかもしれない。これから書いていくのは、そう思えるぐらい、どこか不思議だった旅の話です。

 

続く