月を旅路の友として

大学生です。旅行記と、140字じゃ収まらないネタと、色々。

越後路トワイライト 越後に水を求めて -1日目(2019/05/04)

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マジックアワーを駆け抜ける

 

 桜前線が北の大地の果てでいよいよゴールテープを切ろうかというこの頃、列島は改元に沸き、渋谷は祝賀に国旗が翻り、テレビはどの局も同じような特番を打ち、僕はというと中国語の授業を受けていた。なぜ大型連休のど真ん中に駒場のキャンパスまで来て必修授業を受けているのか考えだすと、自分でも悲しくなってきた。二限は人間が出る授業じゃねえ。あくびを出してあと何分で終わるだろうと腕時計を見やると、日付表示がまだ1日を間違ったまま示していたのでカチカチと銀色のツマミを回し2日に訂正しておく。頭の中の年数表示はどこをどう押せば令和に訂正されるのだろうか?平成と書きかけて二本線で消した書類をちょうど作ってしまったところだが、それは分からないから放っておくとして、頬杖をついてぼうっとしながら300km先の景色を思い浮かべていた。

  心の中のキャンバスに日本の原風景を描けと言われたら、僕は水を張ったばかりの水田をイメージする。風が吹けば萌黄色の苗が紋様の中に揺蕩い、止めば世界の写し鏡になるような、空の青を吸った田圃が延々と続く景色。何軒かぽつりぽつりと家が建ち、農作業用の軽トラが畦道を走り、趣味柄鉄路が通っていればなお良い。景色というのは実在するそのものと人が思い描くものとの混合だとか、大学の二次試験のリスニングのネタだったような気もするが、その通りだと思う。ならば両者を満たす風景へ赴けば良いのだが、ところで家の近所といえば東急グループの徹底的な破壊都市化が進んでいるため、望むような情景は手軽にはこの目に収められない。ならば存在する場所へ出かけるまで。そう思って日本地図を眺めると頃合いの場所がある。かつて越後と呼ばれ、今もなお米所として名を馳せる新潟県が。財布から新潟行きの切符を取り出しルートと日付に間違いないか確認する。ようやく休暇らしい休暇がやってきそうだ。

 

2019/05/04

 朝五時半、起床。前日友人らと日付を跨いでからも騒ぎ遊んでいたことを考えればよく起きれた方だと思う。適当なチーズのパンを朝食とし、昨日のうちに詰め込んでおいた大荷物を背負って最寄りの私鉄線へ歩いて行った。

 こういう旅行をするとき、できる限り時間を有効に使うために始発に乗って活動時間を増やすというのはある種の定石であるが、今回は始発に乗ったところで途中駅で時間を浪費するという稀有なパターンであるから中途半端に六時半ごろの急行列車と相成った。始発列車はそれに乗るべくして集まった、いわば「始発列車感」の強い人たちの集まりなのだが、この時間ともなると時期のせいもあってか行楽シーズンの香りが車内からはした。

  渋谷で適当なおやつがわりのパンを購入し、高崎線内を早起きの代償に寝床として捧げ、目を覚ますと機関区に何両か電機が停まっているのが見えた。鉄道の町・高崎に到着である。それにしても寝た記憶すらなかった。多分全身麻酔とかの感覚に近い。

  ホームに降りると、斜め前方に異様な存在感を放ち黒く光る鉄塊が堂々と佇んでいた。威厳のような得体の知れないなにかを感じた。旧鉄道省が産み出した蒸気機関車の最高傑作、万能型SLであるD51である。デゴイチの相性で親しまれる形式のうち、目の前に対峙する498号機はまさに現代に生きる伝説である。テンダーには復活の狼煙を高々と上げた31年前のオリエントエクスプレス88の栄光を模した紋様が記念に刻まれている。我々日本人、特に僕と同年代であればオリエントエクスプレスなんてのは創作上で殺人事件を起こされてるぐらいの認知だろうが、80年代も終わりかけた頃、優雅なる西欧の寝台客車はまだ元気だった日本を目指しパリのリヨンを発車してからシベリアを一路駆け抜け海はフェリーで越え、遥かなるオリエントの都・東京までやって来た過去があるのだ。ちなみにリヨン駅では行き先にTOKYOと出たらしい。D51-498はこれの最終興業として上野から大宮を本務機として牽引し、ロイヤルエンジンEF58-61の後押しはわずかに受ける程度で堂々たる走りを見せたとかなんとか、その伝説は今なお語り継がれている。また京葉線が開通する直前のこと、「線路引いたけどまだ電車来ないしここSL走らせたら面白くね?」というプラレールでもやってんのかみたいな感覚で臨海部を走った経歴もある。最近の鉄道はこういう無茶をしない。もちろん趣味としてはつまらないといえばつまらないのだが、いつかまた何かの機会があれば全力で迎えたい。

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若い機関士が後方を覗き、先にホームで待ち構えていた旧型客車と連結した。時々白煙を吐き出し、家族連れを喜ばせた。僕も喜んだ。

 このSL列車に乗るために中途半端な時間に家を出ることになったのだ。期待を胸に乗り込んですぐ、勢いよく客車の扉がしまった。咆哮のような汽笛が長々と轟いた。出発である。程なくしてハイケンスのセレナーデの車内チャイムが流れ、停車時刻等が告げられた。淡々と地名と時刻が読み上げられていくのに旅情を感じる。ボックス席の向かいの人と協力して窓を開け放つ。五月の清々しい風が舞い込んできた。

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エアコンのない昭和29年製の客車に涼しさがもたらされ、窓に頭を擡げると髪が僅かに揺れ、頬を撫でられる。そこから右手に浅間山を見る晩春の上州の長閑な町並みに心癒される。それはただ新緑が爽やかだからというだけでない。畑を耕している老夫婦、幼い子供とかついでいる父親、練習中の野球少年たち、三脚を立てたカメラマン、みな一様に体をこちらへ向けSL列車に手を振ってくれる。それに手を振り返す、これぞ客車列車の醍醐味である。

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 利根川を渡る薄緑色の鉄橋を過ぎた頃、乗車録をつけるため、先にこれから乗る列車の番号を時刻表をめくりながら確認してみる。するとあることに気づいた。このSL列車は水上駅に12時3分に着くが、僕が乗ることになっているそのあとの列車は11時40分発なのである。f:id:hamanasu201re:20190509165118j:image

可能性としては二つあり、水上駅を境に1時間の時差が設定されているのか、僕が時刻表を見間違えたかである。一応ネットで検索したが日本国内の時刻は全て東経135度を基準に統一されているらしいので、どうやら僕の計画が甘かったらしい。そうなるとそのあとギチギチに詰められた行程はまったくの無駄になってしまう。前提条件があっていなければどのような証明にも意味がないのだ。頭のどこかからか声が聞こえる。声の主は50半ばの中肉中背の男性のようであった。

いいですか。このような間違いをしてしまう人は、来年の入試でも同じ間違いをしてしまいます。今からでもですね、入試科目から数学を外して三教科でやる。まだ遅くないと思います。

受験に毒されすぎたらしい。慌てて時刻表をめくり行く道をたどり直し全て作り直す。ある程度の犠牲はこの際仕方がない。5分ほどしてその場凌ぎにしてはまずまずの行程が作り直されると、長かったトンネルを抜けた。冠雪した谷川岳を遥かに、小夜曲の一節が流れ、客車は緩やかな減速の後で終着駅に停まった。

 水上駅は一度通過したことがある。かつて、まだ僕が高校二年生という人生の栄華にあった頃(藤原家か?)、ある寝台電車の最後の運行のチケットを運よく手に入れた僕は学校が放課後になってすぐ飛び出してたどり着いた秋田駅からわくわくドリーム号で南下を始め、冬の上越線を舞浜目指して一路駆け抜ける途中でこの駅を通っている。水上を見た覚えはないが、あの夜のことはまだよく覚えている。いや、あの旅行全体が実は夢だったのではないかと思えるほど、素敵で美しい旅だった。あれから2年半が過ぎ、僕は学ランを脱ぎ捨てたが、一体あの時に敵う夢を見れるのか、お金と時間が増えても分からない。

 旅程が崩壊したため、水上で1時間と少しばかり暇を持て余すことになった。駅前には飲食店や土産屋が綺麗にまとめられ横一列に展開していた。車窓に望んだ利根川を見に行こうと奥深くの細い散歩道へ踏み出すと、荒れ放題の廃墟が目立つようになった。かつては旅館だったのだろう大きなコンクリートの建物から普通の木造民家まで、窓ガラスにはバッテンにガムテープが貼られ、障子は破け、カーテンもボロボロに裂けていた。その中から白昼堂々視線を感じ、背筋を凍らせる。ボロボロになった家の中で猫が三匹、どれもこちらを睨むようにジッと座って動かない。ガラス越しに見つめ返すと、およそ僕の知る猫の持たない、獣のような眼差しを見せた。まるで人間という属性を持つ僕に恨みを込めたようで、余りに鋭かった。一抹の申し訳なさを感じて後にし、川沿いの散歩道まで出た。時々ボートが通りすぎていく。さすがゴールデンウィーク

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折角なので河原で休憩する。重い荷物を降ろし白い平らな岩に腰掛ける。もしかしたら窓を開けた時に煤か何かが顔についてはいまいかと思い、坂東太郎で顔を洗った。冷たい流れにサッパリした。

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 顔を洗って随分冷えたので、何かあったかいものを口にしたいなと思い駅前を歩いていると、都合よく空いている食事処を見つけた。メニューはなく、店の前の張り紙から決めろということらしい。卓には割り箸と爪楊枝と唐辛子だけという簡素な作りがまたよく、こちらもシンプルにかけ蕎麦を頼んだ。気がつけば満席になっていた店内には威勢のよい店主の声が響く。割に洒落てるなと思うと喫茶も併設されているらしい。コーヒーで一服というのもいいが、この時点で13時5分。次の13時40分発上越線下り長岡行きは逃せば次が3時間待ちという代物であるから、間に合わなくては今日の計画がいよいよ台無しになってしまう。大体、蕎麦もそこそこ急いで食べなくてはいけないだろう。いつのまにやら相席となっていた一人の老人は背筋をしゃんと伸ばし紳士の振る舞いを見せ、僕も老けたらこうなりたいなあ、あ、そうなる前に死ぬかなどと考えているうちに熱々のそばが運ばれてきた。海苔の良い香りのする丼に唐辛子を一振りして戴いた。箸もよく進み結局半前には食べ終わり、余裕をもって上越国境越えの列車に乗り込んだ。

  真新しい列車は長い隧道を抜け新潟へ入る。越後湯沢からは歩いて次の駅を目指すことにした。

 ガーラ湯沢へ行く上越線の支線は越後湯沢から先わずか1駅しか区間がない。新幹線を降りた瞬間ゲレンデに着くのがウリであり、ほとんどウインタースポーツのためだけに存在している。そういうわけで夏期閉鎖になる。僕には縁の遠い駅だが、全線乗りつぶしのために乗らないわけにはいかない。越後湯沢発には間に合わないがせいぜい2km歩けばガーラ湯沢発の折り返しに間に合わせられる。雪解けのあとのスキー場を横目に、なぜこんな時期には開いているのだろうと思いつつ、重い荷物を担いで歩いた。

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意外に近かった。

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東京行きの新幹線が一日でこの本数。駅と一体化したスキー用の巨大施設は外国人観光客がちらほらいる程度で閑散としていた。ゲレンデへ続くリフトは文字通り空回りしていた。もしかしたらまだ雪が残っているエリアもあるのだろうか?見た感じ、緑色の坂しかなかったが。そういうわけで上り新幹線も当然のようにガラガラであったが、降りた越後湯沢駅ではUターンラッシュで大量の客が乗ってきた車両に乗り込もうと列をなしていた。
 再び対照的に、連休終盤ともなると新潟行きは自由席でも大した混み具合ではなかった。普段の東海道新幹線の方がよっぽど混んでいる。電波の入らなくなる長大なトンネルを何本か潜り抜け、長岡駅から信越本線に乗り換えて2駅先の前川が今日の目的地だ。 
 前川駅前は新興住宅地が立ち並び、平らな道がずっと続いていた。先の記事で述べた安城に近いものを感じる街並みである。
 目的地の田んぼについた。畦道を抜ける。田んぼに水が張られていないのは予想外だがそれはいいとして、しかしどこからどう撮れば良いのだろう?日が沈む方角は見当もつかない。適当にぶらついたあとで、カメラを横にふればいくつかのアングルが試せそうな場所を選んだ。
10人近くいただろうか。各々三脚を立て、ファインダーの向こうにお目当てを待ち構えている。今日は連休真っ只中ということもあり貨物列車は軒並み運休であるから、日の沈みかける頃合いの時間に来る列車といえば信越線上り3374M、通称「新井快速」である。115系が唯一今でも信越本線に運用を持つ列車にして、3両編成の古豪が旧信越本線区間まで足を伸ばすこの列車は孤高の存在である。しかしどうしたことか、通過予定時刻を過ぎても一向にやって来ない。そういえば、踏切はいつから鳴ってないだろう?妙だなと思い調べれば、信越線は柿崎での事故により運転を見合わせ、3374Mも前川の一歩手前の宮内駅で停車させられているようだ。もし定刻通り来ていれば太陽がやや高い位置にあったにしても、明るい状態で撮影が出来たはずだが、こうなってはただ指をくわえて太陽がじりじりと沈んでいくのを眺めている他ない。せめて15分遅れ程度で通過してほしい。それはその場にいる誰もが思っていたことだっただろう。だが現実とJR東日本は非情であり、その後30分に渡って列車はやって来なかった。日は急激に高度を落としていった。

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流石の僕も苛立ちを隠せず、スマホの電池が切れたことも合わせて心の中で癇癪を起こしていると、ひとりふたりと同業者が帰っていってしまう。この日の沈みようではもうまともに写真は撮れないと思ったのだろうか。惜しそうに三脚を畳んでいく。やがて前方に構えていた方も諦めるように引き返してきた。今日は無理そうですかね、なんて話をしていた。気がつけば僕とその人ともう一人、合わせて三人しか残っていなかった。もうろくな時間には快速はやって来ないというのが総意だったのだろうか。車でいらしていたその方と談笑するうち、次の来迎寺まで車で送ってもらうというお誘いを受けた。というのも、もしここで撮影を諦めても僕は徒歩で来た以上前川に引き返さざるを得ず、その前川を次の電車であるいつかはやってくるはずの新井快速は通過してしまうから、電車に乗れるのはいつだかわかったことじゃないのだ。大変心優しいお誘いだったが、僕は返せるものが何もないことに気づき、お断りした。もしまたどこかの線路際でお会いできたら、お礼を言いたいと心から思う。
さて、それからまた15分ほどしてから、不意に踏切がランプを赤色に光らせた。これは……やってくるぞ。慌てて立ち位置に戻ってカメラをスタンバイ。しかしもう太陽の輪郭は完全に姿を消しており暗いことこの上ない。満足にシャッタースピードを稼げず列車はぶれ、その上ピントもズレて……。

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失敗した。その後すぐ、快速の後を追うように本来なら乗るはずだった普通列車も通り過ぎてしまった。

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抑止がかかってこの辺りで団子になっていた以上、当たり前といえば当たり前である。こうして僕は全くもってなすすべがなくなってしまった。とぼとぼと駅に戻って時刻表を確認すると、次の上り列車は19時36分発の直江津行きであり、これに乗れば辛うじて直江津まで行って折り返してくるもともとの予定に乗せることができるが、それが時間通りに来るのか、直江津までたどり着けるのか、確証など全くなかった。ただただ駅舎を眺めていた。

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 しばらくして山の端の橙色が褪せていき、駅は宵闇に沈んだ。視界は寒色に支配され、冷えた風が上着の隙間から入り込んで体を伝ってくるたび身震いした。僕以外誰一人として駅にはいなかった。列車はまだ来ない。車のエンジン音が時折虚しく過ぎ、寂寥だけが待合室にあった。このまま自分は無人駅へ溶けていってしまうんじゃないか、とか、そんな気がしていた。

 やがて遠くの踏切が鐘を鳴らした。バケツリレーのようにだんだんと鐘の音は近づいてくる。重く深い夜を切り裂くような一筋の光が微かに見えたあとで、直江津行きの鴇色の列車がやってくる自動放送が流れた。ホッとため息をつき、この列車が行けばまた静寂に還るのだろう前川駅を後にした。

 信越線を行く列車は二本の鉄の轍を頼りとして、越後平野を丁寧になぞるように、それでいて足早に駆け抜けていった。ありったけの墨を流したように黒く塗り潰された窓ガラスが、スピードを緩める時だけわずかな町灯りを写した。何度か夜の帳に電車が止まり、柏崎を過ぎると、海を右手にのぞむようになる。港だろうか、得体の知れない緑色の光が輝いていた。そういえば先述のわくわくドリーム号の時、三段式寝台の下段に転げて窓を見上げれば、月明かりが見知らぬ新潟の漁港を照らしていたのにいたく感動した。海辺の車窓は昼間や夕焼けも綺麗だが、真っ暗な夜に通るのも趣があり、そもそもいつだって初めての路線は冒険である。行ったことのない駅、訪れたことのない街。そこへ行く、乗ったことのない鉄道。自分のまだ知らない日本に点と線をなぞってゆく瞬間に、この趣味の面白さとロマンがある。

  直江津に着くも疲労困憊、待合室の硬い座席に体重を預けて折り返しまで何もせずに時間を潰した後で、20時26分発の長岡行き最終列車は5番ホームを静かに滑り出した。車内には来た道を戻っていく僕だけだった。f:id:hamanasu201re:20190509165156j:image

うとうとしていたら柏崎到着をアナウンスが告げた。慌てて支度をして降りる。最終列車の扉の先、気温は9℃。柏崎は冬のような冷気に満ちていた。

 

続く