月を旅路の友として

大学生です。旅行記と、140字じゃ収まらないネタと、色々。

あいまいな時代のおわりに 2019/04/28平成乗り納め

 

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一足早い夏休みを東京で。

 

   平成が終わる。あと何時間かすると終わる。

 平成に生まれその時代しか生きてこなかった僕からすると、終わるというのがまず予想外であった。小学校の頃の夏休みよろしく絶対終わることのないものだと思い込んでいたが、どうやら本当に終わってしまうらしい。そうなると隕石が地球に落下するまであと一日と宣告された人類と同様、やり残したことがないか考えるわけで、なにかこの時代の締め括りになる旅行をしたいと思った。しかし今さらホテルを取るような長大な旅行は予算的に許されない。この時代に残した課題的な何かを片付けられる日帰りで手軽な旅行、というより散歩に近い計画を漠然と頭の中で思い描いていた。そういう課題というのは大体常に身近にあるものほど忘れているものであり、具体的にはゴールデンウィーク明けにある英語の課題提出とかもそうであるが、それは今は置いておくとして、趣味的に身近に残したものは……と、時刻表の冒頭の首都圏の拡大路線図を見てみる。首都圏と一口に言ってもその曖昧な言葉では説明がつかない部分も多いのだが、東京都内ならまず首都圏だろう。東京都というのも不思議な言葉であってきっと殆どの人は高層ビルが織り成すコンクリートのジャングルを真っ先に思い浮かべるんだろうが、僕の行こうとしている東京はそんなものではない。むしろ真逆の、いつも忘れられてかわいそうな東京のもう一つの顔である。

 

2019/04/28

 なにか気がかりな夢から目をさました。幸い寝床の中で一匹の巨大な虫になることはなかったのだが、しかし肩と背中に異様な凝りを覚えた。痛みに耐えて上半身を布団から起こすと、時計の針は7時40分を示しており長針と短針が重なっていた。別にそれが重なることにも人が報われるかどうかにも大した連関も意味もないとか、そういうことをぼんやりとした頭で思いながらアラームを叩いて起き上がった。もしこれがいつもの休日であったとすれば来るべき平日に備えもう一度臥せ優雅な眠りにつき、平成31年4月28日の午前中をこの世界から消してしまうところだが、僕にとっても誰にとっても今日は普通の休日ではない。第一に、ありがたいことに昨日からカレンダーには数字が朱色になって10連続で記されている。通っている大学はカレンダーの確認を忘れたのかカレンダーの見方を知らないのかそれともカレンダーを勝手に作っているのか、その合間合間に授業を平然と挟み込んでいるため折角の10連続はぶち壊しにされている。が、何コマかは心優しい教官たちによって休講とされているため四捨五入すれば僕だって10連休みたいなものである。と思いたい。もしそう思えなくても、少なくとも5日連続で現代の奴隷船である朝の通勤列車に乗ることはないためここで休んでおく必要はそれほどない。若いうちにしかできない無理がある、というのが僕のポリシーだ。昨日先輩にごちそうになり遊んで帰ってきただけで肩がバッキバキなのはそれが思いやられる要因だが、今日ぐらい無理をしておきたいのが第二の理由にある。今僕の部屋に置いてある財布の中にはグリーン席の指定券が入っている。その券面には「4月28日 お座敷青梅奥多摩号 武蔵溝ノ口駅9時16分発 980円」と印刷されている。つまり、もし武蔵溝ノ口駅を今日の9時16分に発車する列車に僕が乗らなかった場合、日本史上最大のゴールデンウィーク二日目から僕は980円をドブに捨てたことになってしまうのだ。四桁に満たない金額でも貧乏学生には厳しい。まあまず奥多摩方向へ向かおうと思いこそしていたがなぜ買った覚えのないこの切符が僕の財布の中に入っているのかという疑問もあるのだが、こればかりは仕方がない。無意識のうちに勝手に入っていたものは仕方がない。僕はこのチケットを腐らせてしまわないために布団から出て朝食を食べ、適当な服に着替えて扉を開けた。家の外に広がる青空が奥多摩まで続いていればいいなと思いつつ、僕は凝った肩を何度か回した後で家の鍵を閉めた。

 最寄りの私鉄線に15分ほど揺られ、溝ノ口の駅に着いた。随分気持ちがよい暖かさの快晴で、陽射し降り注ぐペデストリアンデッキを往来する人々はみな呑気な顔して行楽日和のゴールデンウィークを楽しんでいるようだった。今からお座敷列車に乗りに行くような僕も他人からはそんな風に見られているのだろうか。正月以外も年中無休で福笑いをやっているような顔をした僕がニチャニチャと気持ち悪い表情を浮かべていてそんなのが街中にいたらきっと人様の大型連休を台無しにしてしまうか最悪捕まるかするだろうとか思うと自然と背筋は伸び真面目な顔つきになり、それからシャツの胸ポケットに入れておいた休日専用の乗り放題パスを自動改札に通してJR南武線の北へ向かうホームへ降りていった。

 乗るべき列車はすぐにやってきた。紫紺色のボディにピンクの帯をまとったそれは遠目から見ても日常生活にあるはずのものではなく、今日が休日であり、これから非日常の鉄路を行く列車だということを実感させた。グリーン券を持っていない客は乗れないことが繰り返し放送で流れて緩やかに停車したのち、1両に1つしかない片開きのドアが開いて僕はそれに乗り込んだ。初めてのお座敷列車である。 

 

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 お座敷列車の歴史は長いが、今回乗るこの「華」という編成は僕より二つ年上ぐらいの、ジョイフルトレインとしては新参者の列車である。元をたどれば車両そのものは485系という国鉄特急の花形のような存在の一員なのだが、97年に陳腐化した客車編成の代替のため電車の強みを活かそうと抜擢・改造されたという経緯を持つ。その485系といえば、クリームのボディに赤のラインを持つ古き良きカラーリングのものは2015年に、その他青森や新潟といった寒地で活躍し辛うじて原型の残っていたものも2017年には引退した。「華」を改造前のものと同じカテゴリーである485系として語ってよいのかは大いに疑問であるが、書類上は紛れもなく485系であり、同期で同じように改造された「宴」も先日廃車回送されたことから、運よく長生きしたやつだとも言えるだろう。しかし昨今では需要が減ったのか、「華」も近々消えゆく運命にあるのではないか、と車内では専らの噂であった。とはいえ、そういう噂の出来るような、いわゆる鉄道ファンは全体の乗客の大凡三割程度。残りの七割はごく普通のカップルやファミリー層であり、川崎方面から奥多摩へのハイキングだかの純粋な交通手段としての利用のようであった。掘炬燵のなかへ足を伸ばし周りを見やれば、缶ビールを空けて午前中から一杯やって陽気になっている人や、幼い子供とおやつをシェアしている親などで盛況だった。賑やかで微笑ましい車内に旅路の気分も高まるというものである。南武線内の駅を通過するたび、向かいのホームでやってくる列車を待つ人々が物珍しそうな顔でこちらを見ていたのも、当然といえば当然だ。

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 列車は交通の要衝・立川駅で止まりこそしたが、乗務員交代のためのものでありドアは開かず事実上の通過だった。ホームが一切なく、乗務員室へ登るためのシンプルな台とそこへ続く階段だけが薄暗い駅構内にぽつんと置かれている通過線に留まっているのは不思議な感覚である。それから青梅線へ入線してすぐ車内検札がやってきて切符を見せた後、しばらくうとうとしていると、だんだん車窓に占める緑色の割合が増えてきた。そして乗客も所々で降りていった。殆どの客が終点の奥多摩まで乗るのかと思っていたが、青梅や御嶽などで下車する人も結構いたようである。進行方向左手はよく視界が開けており、荷物入れに腰掛けスマホで写真を撮る人が目立ち始めた。僕も車内の探検でもしてみようかと腰を上げる。団体客向けに置かれたテレビは草なぎ剛地デジカが躍起になって殲滅しようとしていたブラウン管のそれであり、カラオケは中学の修学旅行の帰りのバスに乗ってたみたいな図体のでかいやつだった。どこに掛けるのか分からない内線電話もやや古ぼけたものであり、デビュー20年では時代の流れに逆らえないなあと思った一方で、清掃の行き届いた小綺麗な畳やソファから奥多摩の新緑が特異的な大きな窓を額縁にして絵画のように映し出されているのをひとり眺めていると、無くしてしまうのは惜しい列車だとも思えた。

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そんなことをしているうちに終着を告げる車内放送が流れてしまった。二時間の旅は車窓の堪能であっという間であり、もう一度乗る機会があればいいなと思いつつ、やたら車体との間に隙間の広がる奥多摩駅のホームへ降りる。これにて青梅線は全線乗車した。何かに託けなければ近いようで遠いから訪れなかった路線の一つであるから、今回のイベント列車は大変良いものであった。これにてJR全線乗車への道は、二万キロ中三十キロほど距離を伸ばし、わずかに一歩前進した。


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 ところで僕は腹をすかせていた。朝食を食べてから特に飲み食いもしていないし、もう十一時半だからごく真っ当な生理現象である。そんな時に駅舎を出ると何かが焦げたような匂いが漂っていた。しかしそれは決して不快なものではなく、幼い頃に美ヶ原の小池で釣った魚を焼いて食った時の思い出と焚き火の色を脳内の埃がかったアルバムから一瞬で選び掬い取って懐かしい気持ちにひたらせる、好ましい炎の予感だった。それもそのはずであり、出口のすぐ隣の開けたスペースで地元の人らしき数人が何十本も大ぶりな川魚を焼いており、よくよく見れば駅前にたむろしている観光客の大半がその川魚を片手で持ち頬張っていたのだった。「奥多摩やまめ 500円」という文字が仮設テントの中で踊り、串刺しになった20cm大の渓流の女王の炙りを前に唾が抑えられずにいた。この時点で今日の昼ごはんは確定したも同然である。テントに並び一尾買った。おじさんが軍手でよく焼けたやつを探して渡してくれた。ベンチに腰掛けいただく。うまい。味がよくついていて程よく柔らかく、塩味のずいぶん利いた皮に自然とかぶりついていた。かなり濃い味をしていたが、家系ラーメンで濃いめ・固め・多めしか頼めない舌の持ち主である僕は好物が一つ増えた。小骨はちょっとめんどくさかったけど、そこも含めていい体験でした。

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 運に身を任せ駅前の一本道を左へ進み、その途中にあったどこか懐かしい匂いのする駄菓子屋で小学校の遠足みたいなおやつを100円で買って、日原街道を散歩がてら歩く。 時折木々がさわさわと揺れる音がして、足元に幽かに川の流れを見て、これがあの渋谷とかと同じ東京なのかと思った。男の子なら誰でも好きな廃工場のような現役の工場とかはあったけれども、のんびりと和やかな時間が流れるよい場所であった。

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川のほとりまで階段で降り白い石の上で腰掛けていると、英語の課題とかどうでもよくなるぐらい癒された。自販機で買ったコカコーラを流れの中に入れて冷やして飲んだり、不規則に飛ぶ小鳥を目で追いかけたり、最近の疲れにはこういう時間こそが必要だったのかもしれない。

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渋谷の喧騒も嫌いじゃないけど、23区のキラキラぶりに磨耗した時、心は多摩を求めている。美しい川の流れを前に呆然としているだけでいい休日というのは素晴らしいものの気がする。ドブみたいな色した太平洋に還っていけるならいい……というのは無茶な話かな。

 

 駅の方へ戻ると、見慣れた中央線の列車が高架から姿を消そうと加速していた。いわゆる、乗り過ごした、ってやつである。普段はそうならないよう心がけて旅程を組んでいるが、いかんせん今日はノープランだから止むを得ない。次の列車は30分以上あとだから、駅の二階にあるとかいう喫茶でコーヒーでも啜って時間を潰すことにした。猫舌の甘党だからアイスカフェラテ。

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450円也。どうでもいいんですけど、冬場でもアイスコーヒー派なので、自販の缶コーヒーが全部あったか〜いになっているのを見るとムカつきます。

 このまま帰っても良かったのだがまだ昼下がり。夜まで遊ぶ体力はないにしてももう一つ何かしらしてから帰らないと、気分としてもそうだし、乗り放題パスの元がとれるのかも不安である。でも大丈夫、まだ乗ったことのない路線がごく近くにあるから。

 五日市線は、青梅線の途中にある拝島駅武蔵五日市駅を結ぶ10km少しの短い単線の盲腸路線である。ここもまた機会がなく乗っていなかった。もし今日乗らなかったら多分あと三年は乗りに来ないだろう。拝島で東京行きの青梅特快から降り、ピストン輸送がなされている五日市線のホームへ渡り6両編成の列車に乗り込んだ。

 車内は意外と混んでいて、席が埋まってドア付近に何人かの立ち客、という具合のものであった。僕は前面展望のよく見える一両目の角っこで頃合いの手摺に腰掛けていた。初めて乗る路線だからやはり齧り付いて見ておきたい。やがて列車がゆっくり動き出すと、頬杖を着くようにしてぼんやり行く先を眺めていたのだが、しばらく行った後で僕は後方にこちらへの視線を認めた。振り返ってみると十歳ぐらいの少年が、運転席の向こう側を見ていた。手に花か何かを入れた籠を持った彼は僕と同じクチらしいがやけに熱心であり、 その黒い瞳の向こうに昔の自分が立っているような気がした。あれはいつだったか忘れたが、初めて親に頼らず一人で関東を回っていた時のこと、やや後方から見切れた運転台のその先をじっと眺めていた僕に乗務員室への扉に靠れるベストポジションを譲ってくれた人がいた。もはやその人の性別さえも忘れたのだが、記憶のどこかにそういうことは残っていたりするものである。そしてそれが奇跡的に残っていて今呼び起こされる意味というのは一つしかない。僕は黙って後方へ行き、彼にベストポジションを促した。そこに進み熱心に立っていたのは疑いようもなくただ鉄道が好きなどこにでもいる一人の男の子であり、また昔の僕でもあり、そして今の僕が失った姿だった。176cmも身長があって、あの頃じゃ見えない場所から遠くが見れるようになっても、一番肝心なものがないのでは何を見たって意味もない。19年かけて捨て去った純真と情熱が自分の中にあることを、この時代の終わりに実感させられた。

 呆然として辿り着いた武蔵五日市の駅前はこじんまりとした住宅街であった。嫌いではない雰囲気だが、気分がまだ緑豊かな奥多摩にいたことから大した散歩をする気にもなれずすぐ折り返してしまった。うちではもう掲げなくなった鯉のぼりを立ち止まって見たりするぐらいで、元来た道をそそくさと戻った。

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それからあとは、疲れた体を固いロングシートに預けて眠るばかりだった。気がつけば家に帰っていて、夕飯のほうとうを食べていた。その後はだらだらと大河ドラマを見るいつもの日曜日。こうして変わらない毎日を何回も繰り返し過ごしていたらあと何日かで一時代が区切られてしまうなんて、やはり実感がわかない。20年が失われ、押し寄せる幾重の波が社会を壊し、大学に受かったって決して未来は明るくない時代だ。僕はこの時代に生まれたことは嫌いだけど、2/3しか生きてはいないがこの平成という時代は嫌いじゃなかった。終わってみれば令和が10年ぐらい経った後で、どこかの高架下の酒場でビール片手に美化された平成の思い出でも語らっているのだろうか。きっと一歩踏み間違えたらクレヨンしんちゃんあの映画の敵役みたいになっちゃう気は自分でもする。だけれども、もしあの少年と同じ眼差しで線路の果てを見据えられたら、折り返し地点まで来たこの乗りつぶしの旅は新たな時代でも楽しく迎えられるだろうという確信はある。他のことだってそうだ。未来の展望も何もかも、どこかで漠然としか考えられなかった自分がいつでもいた。平成の終わる三日前にして課題の旅行をしてまた洗い出された課題は、その次の元号での宿題となった。提出期限はないが、提出先は無限にある。だが、出来ることからテキパキと。だから僕はまず、英語教員に提出先を絞ってみる。清々しい気持ちで新しい令い日を、和やかに迎えたいので。

 

以上