月を旅路の友として

大学生です。旅行記と、140字じゃ収まらないネタと、色々。

一年の孤独

 

  • はじめに

高校の後輩に「浪人した感想を」と聞かれたのが2月26日のこと、140文字じゃ到底収まりきる訳ないだろ、と思ったのでここに載せることにしました。しかし遅くなりすぎましたね。もう予備校の授業とか普通に始まってるどころか、あと一歩で五月ですよね。ごめんなさい。お詫び申し上げます。

もちろんこの記事はその後輩に向けてという部分も大きいのですが、浪人している人、あるいはこのブログがタイムカプセルの役割を果たしたとして、これから浪人する人も含めた全員の役に立てるような話に出来たらなあ、と思って書きました。ただ、合格体験記というか、「これをやったから受かった!」みたいな話ばっかりにはしたくないという思いがあって、というのも、模試でいつも成績が振るわなかったのに運良く逆転勝ちしてしまった僕がそんな事は口が裂けても言えないと思っているからです。むしろ逆に、僕がこれをやっておけばよかったとか、こうしておけば、とか今でも思っている事を伝えられた方が役に立つんじゃないでしょうか。反面教師にしてください。

そもそも完璧な浪人なんていないと思います。完璧だったら浪人しないし。でも、浪人中の後悔の数だけ試験終了後から発表までの懺悔ポイントは大きくなります。みなさんにはあの地獄のような失意を感じてほしくない。なるべくやりきったと思える一年後をみなさんが迎えられるべく、僕の恥ずかしき一年間を月ごとに振り返り、供養してここに碑として打ち立てたいと思います。しかし興が乗ってしまったと言うかなんと言うか、碑がクソデカくなってしまいました。10000文字近くあります。分量的に読むのが大変だとは思いますが、何か得られるものが一つでもあるならば幸いです。

 

 

  • 4月

 浪人する前提として、高校を無事卒業し、大学受験に無事失敗しました。振り返ってみると現役の時半年ぐらいしか本気で勉強していなかったのだから当然の報いです(今思えばあれは本気でもなんでもありませんでした)。が、甘ったれた僕は、同時期に祖母を亡くし恋人と別れたことから完全に拗らせてしまい、毎晩午前3時まで寝床でツイッターをし、時折腕の黒子にシャーペンを突き立てて抉ったりFF0人の鍵垢で現代社会への呪詛を唱えたりしていました。完全に病気です。そんな中で予備校生活が始まり、毎朝6時に起き、7時発の各駅停車で予備校の最寄り駅まで爆睡、授業合間の10分休みにもガッツリ夢を見るレベルの仮眠をする日々を過ごしていました。全浪人生に言いたいのですが、ちゃんと寝てください。どんなに辛いことがあってもしっかりとした睡眠をとって健康な生活リズムを作ってください。僕の場合、頭がぼんやりとしてまともに勉強できませんでした。それを言い訳にしばらく時間を費やしてしまったことを今でも後悔しています。浪人したならその理由があるはずですから、自分が浪人であることを絶えず忘れずにいてください。自分の体は一年間やっていく上でとても大事な、そして数少ないあなたの資本です。大切にしてください。余談ですが、ある日地下鉄の中で自分が降りる駅だと脳が認知しているのに体が言うことを全くきかず動かなくなり、降りたいのに次の駅まで運ばれてしまったことがあり、それを機に健康的な生活を心がけ始めました。

  • 5月

 この頃の予備校生活は大変苦痛でした。毎日は長くて退屈なのに、一週間はあっという間で次の授業はすぐやってきました。基礎が覚束ないので予習復習は時間がかかって仕方がない。勉強しかやることがないのに、その勉強がよくわからない。まだ浪人についてちゃんと捉えていなかった僕はあの頃の楽しい高校生活を返して欲しいと何度も願いました。無駄な祈りです。誰も喋る人のいないお昼休みなんてやって来てほしくなかったどころか、やってくるとも思っていませんでした。しかし同じクラスに友達がいなかったわけではありません。I県から来た真面目な好青年と最初の席が前後であったことから親しくなりました。授業のちょっとした質問を聞かれたりとか浪人の話をしたりとか、普通に時々会話するレベルの友人です。が、彼はとにかく成績が普通ではなく優秀だったのです。常に成績上位表の中でもさらに上位の常連でした。僕は彼に少しでも追いつこうとすればいい具合になるんじゃないかと思いました。真面目で自分よりはるかに優れた友人が一人でもいると、いい刺激になります。ちなみに僕の場合もう一人聡明な友人がいたので毎日ほとんどハラスメント状態でしたが、それでも得られたものの方が大きかったです。

このあたりではよくお散歩をしていましたね。具体的には、ふたコマ連続で空いている毎週水曜日に東京を散策していました。根津神社に行ったり、上野に行ったり、近場をカメラを持ってぶらぶら歩き、趣味に遊んでいたと思います。遊ぶならこの曜日の時間帯だ!と決めておくのは余裕ある時期のペース作りにかなり有効だと思います。逆に他の時間は全てやることに当てられますからね。これを思いついたはいいものの、僕の場合決めた時間以外でも遊んでいたのが問題だったのですが、個人的な考えとして序盤から勉強飛ばしすぎというのも一年間その勢いが保てるのかが今でも疑問のままです。もちろん出来るに越したことはありません。

  • 6月

 浪人し始めた時、どういう戦略で一年間を過ごせば果たして東大に受かることができるのかを考えてみました。35点差か何か、不合格者の中でも真ん中よりやや下あたりの成績しか取れなかった僕が、一体どこをどうすれば最低点というハードルを越えられるのか。そう考えた時、英語と数学というウィークポイントは何としても克服する必要があるだろうなと思ったために、特に力を入れてこの二つの教科の基礎を詰め込みまくっていました。バランス型になろうとしたんです。浪人初めからコツコツと基礎ばかりやり続けていました。その上初学の世界史ものし掛かりかなり辛かったのですが、後々これが功を奏します。しかし、そのせいで得意だった日本史に手が回らず、知識がすっかりどこかへ流されてしまったというデメリットもありました。何かに集中しすぎることは同時に何かを捨ててしまうことでもあります。これを教訓にして、センター試験や二次試験の前には全教科万遍なく触れておくように心がけました。毎日霧吹きで水をやらないと乾いて干上がってしまって失敗してしまうのです。梅雨の頃ならまだしも、東京の一月二月は乾燥しますからね。全てを湿らせた状態が必要なこともあります。

ところでここで、浪人の一年間がどんなものか全体を総括してみたいと思います。では、親が運転する車か、あるいはハイウェイバスの座席に乗って、高速道路に乗っている自分を想像してみてください。天気は何でも構いません。まあ運よく晴れていたとしましょうか。だとすると、あなたは最寄りのインターチェンジから今に至るまで外の景色をボンヤリ眺めていたことでしょう。時々驚くように綺麗な海や、ビッシリと丘の上に並んでいる風力発電の機械や、のどかな茶畑か何かも見えたかもしれませんが、ともかくどこかへ向かうことを楽しんでいます。これが今までの人生18年間だとします。そしてその直後に現れたクソ長いトンネル。これが浪人n年間です(ただしnは自然数とする)。いつまでも終わる気がしません。ゴールの目印の光は全く見えません。手元の本か雑誌を読もうとしても、暗すぎて読めません。カーラジオは聞き取り辛くなります。周期的な橙色のナトリウムのランプや緑色の非常口の灯りは、意識しなければ一瞬で全て通り過ぎて過去のものになります。きっと「クッソつまんね~早く外の景色見て〜」とか思いながら特に何も考えないでしばらくいるでしょう。ところが出口の光が前方に見えた途端、そこからはもうあっという間です。トンネルがどんな惜しくなったとしても、もう遅いです。いつの間にか出口を抜けて3月になって、茫然としていることでしょう。4~6月は永遠とも思われた時間が、この辺りから急激に加速します。指数関数的にと言っても過言ではありません。勿論お察しの通りその先は加速しかしません。何が言いたいかというと、一番辛く長いであろう序盤に頑張っておくことが単純に実力を上げるだけでなく、「あの頃やっておいたんだ」、という自信に繋がるであろうということです(トンネルのすばらしさに気がつけるとなお良いと思います)。お恥ずかしい話ですが、僕は少し(本当に少しか?)ダラけてしまったので。というわけで、あと二週間ほどで夏休みだと気付いたあたりから明確に時の流れが早くなりました。生活か、勉強か、あるいは両方に慣れたのか、予備校へ続く駿河台の急崖を一直線に駆け上がる七十三段の男坂階段を登るのが、次第に苦痛ではなくなっていきました。

  • 7月

 多くの予備校では7月の頭から夏期講習期間に入り、ギチギチな時間割から解放されます。蝉時雨鳴り止まぬ真夏の日々、僕も夏期講習ライフをエンジョイし続けていました。授業がなくなってもちゃんと授業がある日の時間割り振りと極力同じような勉強を心がけていましたし、これについては珍しく概ね達成していたように思えます。予備校を好きになってしまえばあとは通い続けるだけです。気軽に話しかけられる講師が出来たのもよかったですね。

ところで、風邪をひきました。大したことない夏風邪だろう、すぐ熱も引くだろう、と特に医者にもいかず薬も飲まず、普段通りの生活を送りました。読み通り程なくして快復しましたが、それだけが原因なのかカビ臭い予備校のクーラーが原因なのか、それ以降痰が止め処なく出るようになりました。病院に行くのを面倒がって(浪人生はこういう時に限って「浪人だし勉強があるから……」と言う必殺技を使いがち)いたところ、なんと今でも治っていません。自分でも驚いていますが、治る気配も未だなく、あの時早めに行っておけばなあという後悔に襲われています。先にも述べたことですが、とにかく自分の体と心は大事にしてください。浪人はただでさえ心身双方を削りながら進んでいく日々を送ることになりますから。

  • 8月

 7月と同じペースでそこそこに頑張っていたと思います。しかしまだ自分が置かれている状況(この時点で模試の成績はあまり芳しくなかった)に気づいていなかったのか、手元の記録を見ると一日の勉強量は8~9時間に留まっていたようです。先述の友人らを含め、他の浪人生はもっとやっていたようで、それを夏の終わりに知った僕は大いに焦りました。今振り返ってみると、センター試験の対策をやることを考えるとどう考えても気づくのが遅すぎたのです。幸い前期のテキストと講習の内容を夏中に固め終えておいたのですぐ本番チックな形式に照準を合わせなんとか間に合わせることもできましたが、前期と夏休みにもう少し時間を有効に使えていれば、もっと基盤を固めるないしもっと早く応用問題に移られていて余裕を持って受験に臨めたと思います。あそこで浪人を舐めたのがいけなかったな、とこの頃もう気づいてました。

ちなみに、東大実戦模試が終わった後に4泊5日の北海道旅行に行きました。何を言っているのかわからないと思いますが、僕は浪人生なのに青函海峡を越え北の大地の夏を満喫していました。これは前もって計画しておいたことであって、ここ以外で一年間旅行はしないぞ!(当たり前だ)、と考えていたことから浪人期間の良い息抜きになりメリハリをつけられたと思います。大きなイベントが一つあって束の間のやや長い開放感を覚えたことで、「浪人が終わったらこんな日々が待っているんだ」とポジティブになれたところはあります。もしあそこで旅行をしていなければ、というのはありえない仮定ですが、浪人中に溜まったストレスのガス抜きが上手くできずじまいだったのでは、と今となっては思えます。あの過酷な旅に付き合ってくれたDくんとMくんにはこの場でお礼をしたいと思います。ただ、僕は息を抜きすぎてしまったかもしれません。ちゃんと息を吸ってください。

それから長い夏休みが明け、それでもまだ御茶ノ水に向かう遠いアスファルトが歪み揺らいでいたころ、僕はクラスが落ちていました。 

  • 9月

  流石の僕にもプライドというものがあります。どんなにノロマでも焦るというものです。100人いて10人受かるかと言われているようなクラスです。4月の模試であまりにひどい点を取ったツケがここで回ってきました。しかし今更引くわけにはいきません。僕はここから本気(当社比)を見せ始めました。まず自分が今出来ていることを確認し、受験期までにやっておきたいことを教科毎に全て書き出しました(具体的には、この単元は重点的に潰しておく、このテキストは何周ぐらいしておく、など)。次に受験までを後期終了とかセンター直前とかで勝手にターム分けし、それから書き出した要素要素をどのタイミングでやるべきか考えてタームに割り振っていきました。そうして決めたやることを毎日ノートに書き、やり終わったらその日のやることリストから一つずつ赤線で消していきました。簡単にいうと一冊のノートを丸々手帳にしたような感じです。自分の足跡が一目で分かるのが楽しかったです。これが効果を発揮し、コンスタントに10時間ぐらいはこなしていたでしょうか。これをもっと早くやっておけば、というのはどうしようもないことですが、4月から続けておけばゆとりがあったかもしれません。色々と、気づくのが基本的に遅いんですよね。

  • 10月

うーん、特にこれといって覚えてない月です。多分9月と同じことを淡々とこなし続けていたからじゃないでしょうか。時折ラーメン屋に行って気分転換したぐらいですかね。その結果太りました。一年前から8kg近く。運動する余裕がある人は最低限鍛えたほうがいいかもしれませんね、ある程度太ってしまうのは浪人にとって仕方のないことではありますが。この辺りから勉強が楽しくなって来て、延々勉強していられるようになりました。浪人に心地よさすら感じ始めていました。実際この辺りで成績が急に上がったような気がします。入試が近づいてくる焦りとゆったりとした時間の流れが共存している最後の時間だったからかな。

  • 11月

前半は10月までと同じように黙々と勉強していました。ただこの月は東大系の冠模試が駿台河合塾とで二回あり、他の模試も多かったためかなりしんどかったです。もちろんそれをこなすのもしんどかったのですが、特に模試の方は自分の出来なさにかなりガックリしました。C判定ぐらいかな、と思うと身が引き締まり、勉強量を増やすことにつながりました。一年の間、僕の人生はアルファベットで厳密に階級区分されていました。喉から手が出るほどAとかBとかが欲しくて、Cしか出せない自分が嫌になることも何度もありました。でも今思うとそんなのバカバカしいですよ、あてにするなとは言いませんが、あてにしすぎるのもどうかと思います。なにせ最後の冠模試があと3点でE判だった僕が合格者平均点ぐらい本番では取れてるのですから。もちろんショックはショックでした、受け取った瞬間「うわ……私の点数低すぎ……?」みたいな感じでしたけど、他の模試の結果とかも勘案して自分を信じていました。あとは出来なかったところをちゃんと復習することにつきます。もう一つこの辺りでの失敗は、センターについてやや疎かにしていたというか、甘く考えていたことでしょうか。あまりに東大模試の失敗に引きずられてしまって二次対策の時間を伸ばそうとしたのです。これが後々の焦りに繋がります。

  • 12月

 さて後期の通常授業が終わり冬期講習期間に入ります。思うにここから入試終わりまでは長い長い冬休みのような、繋がりのある時間でした。うまく切り替えるタイミングがあるとすれば、正月とセンター終わりぐらいですかね。そこで休みすぎてしまうのに注意が必要かと思います。正直ここから2月終わりまでは長すぎて最後はかなりメンタルやられていたと思います。そんな時はぼーっとタイムライン眺めてましたね。そういえば、趣味であるツイッターをやめようとは一切思いませんでした。自分の思っていることを吐き出せない一年間は辛そうだからとツイ禁には至らず、誰かと繋がっている気がするだけで浪人には救いになりました。これは数少ない後悔していないことのうちの一つです。だからと言ってやれというわけではありませんし、おすすめするわけでもありません。

連日夜コマの講義は長引き、帰り道の橙色のナトリウムランプだけが僕の心の癒しでした。いつの間にかセンターまで30日を切っていたのは恐怖でしたね。突然グロ画像見たいな残り日数を見るのは心臓に悪いので、あのセンターまでn日のカウントダウン、10月ぐらいから見て現実を知っておいたほうが良いと思います。

  • 1月

   大晦日も元日も駿台に行きはしましたが、いつもよりやる量は少なかったです。もともと全体の割り振りを決めた時に三が日は量を少なく設定しておいたのでセンターまでの最後の休息地点という扱いにしました。普通に格付けチェックとか見てた気がします。2019年度はセンター試験がかなり遅い日程だったのでそうした訳ですが、それでも丸々寝正月にしたら4日に勉強することへの抵抗が強まってしまうだろうなあ、と思ってやってはおきました。火を弱めはしても絶やさないようにしたというかなんというか。

センター試験はもともと得意でしたがやはり試験日が近づいてくると不安に駆られるのは仕方のない事で、「まだアレもコレも手をつけてない」とかばっかり考えてました。どうしてもっと早くセンター対策しなかったんだろうって思って、緊張も最悪でした。前日はどうしようもなくなって日向ぼっことかしていた気もします。そんな時僕を助けてくれた二つの言葉と一つの話があります。一個め。「まだ終わってないと思う時、もうほとんどやってある」誰の言葉か覚えてません。二個め。「不安なのは本気の証拠」松岡修造だったかな。そして、「センター試験で漏らした話」。多分「センター 漏らした」とかでググればブログがヒットすると思います。面白いし短いので是非読んでみてください。自分を落ちつけられるフレーズとかネタって、結構耐久性の高いものなので繰り返し使えてお得です。何か持っておくことをお勧めします。とはいえ、ガチガチの緊張は結局最後まで解れず、僕はセンター前日に3時間しか眠れませんでした。終わったな、と朝5時に目が覚めたとき思いました。でももうどうしようもないじゃないですか。どんなに頭が冴えなくても、一年後のセンター試験受けるわけにいかないし。このとき僕の方向性は「高得点を狙う」から「やれるだけやる」にシフトチェンジしましたが、むしろこれが結果オーライだったのでは、とも思います。僕個人の思い込みかもしれませんが、気張らず純粋に自分の力試しをしているときに限って良い点が取れる、実力が発揮できることが多かったです。力みすぎないのは結構重要です。何しろ二日めの朝漏らしかけましたから。どこにトイレがあるのか知っておくとか、会場の下見をしておく、とかはリスク回避になります。ストッパを貫通する下痢が襲ってくるということは、普通ないとは思いますが。

試験本番のことは長くなるので割愛します。そこそこ良い点が取れたので調子に乗ってました。そのノリを数日引きずってしまったのが残念だったポイントです。スパッと気持ちを二次に向けられず、勉強量がしばらくの間明らかに減ってました。切り替えの上手い人はかなりうまくやっていましたし、センターリサーチを穴が空くほど見るとか、ネットの情報とかリスニングの野菜のコラ画像とかを見まくるだとかというのは、今思えば無駄でしたね。

  • 2月

センター後の浮かれは僕も駿台も落ち着いてきていて、直前講習も少なくなって予備校にはほとんど自習室目当てで行っていました。そうじゃないと家でだらけてしまうな、と思っていたので。今思えばこの辺りまで9月から駿台に行かなかった日数は片手で数えられるほどです。特に意味はないのですが、そういうことに誇らしさを感じられるとちょっとした心の余裕が生まれます。それから雪の降った8日のこと、早稲田大学からセンター利用入試の合格通知電話をもらいました。喜びのあまり宅配ピザパーティーを家で挙行しました。法学部・社会科学部・文化構想学部、明治大学も文学部の合格通知をいただき、もちろん東大の一次試験も通り、センターに関しては完勝でした。ここまでは、絶好調だったのです。

ですが25日が近づくにつれて、僕はだんだん壊れていきました。絶対受かるわけない、絶対失敗する、と家で連呼していました。まともにご飯が喉を通らなくなりました。何が原因でか分かりませんが、予備校の担任に好調な受験を送っていると見られていても、自分では早く終わってくれ、頼むから、と何度も思いました。正直短期的な辛さでいえばこの時期が断トツ一番でした。私大に受かって欲を出した僕は、何としても東大に受かりたいという気持ちをより一層強めていました。合格最低点に届かせるための各教科の点数の意味のない足し算を繰り返しました。ですが、僕が何をどう考えたところで、大手予備校は僕に合格率50パーセントという数字をいつも突きつけてきたという現実があるわけです。50%なんてポケモンでいえば電磁砲が当たるか当たらないか。まあ普通当たらないでしょう。センターは良くても、二次では勝てっこない。だんだん「落ちるの嫌だな、受けたくすらないな」という気持ちが心に占める割合が増えていき、その気持ちは晴れぬまま過去問をやる日々が続き、とうとう前日を迎えました。

24日、つまり入試の前日、家にいるのが息苦し気なって近所を散歩しました。よく晴れて爽やかな春の先駆けのような日だったことをよく覚えています。リスニングの過去問を1.5倍速にしてウォークマンで聴きながら、近所の高台の公園のベンチで生まれ育った街をただ眺めてぼうっとしていました。そうすると不思議と落ち着いてきました。ああ、あと二日で終わる。僕の夢が終わり、一年間の長い夢から醒めてしまう。落ちてしまうのは何よりも怖いけれども、しかしもうここまで来たら逃げられない。やれるだけやってくればそれでいい、となんとか持ち直して僕はイヤホンを外し、自販で買った缶コーヒーをその場で飲み干し、家に帰ってから最後の復習か何かをして目を閉じました。吹っ切れることも大事です。

25日のこと。曇りだったと思います。いつものように起きて、いつものように電車に乗って、ただ降りる場所が駒場東大前だったことだけは違いました。試験会場は去年受けたのと同じ教室です。なんだかピリッとした空気が外の冷気よりもひどく張り詰めていて、ライバルは皆古文の単語帳を熱心に読んでいます。だが僕は彼らを越えなくてはならない。彼らが設定する最低点を、ベリーロールかなんかで飛び越えなくてはいけない。僕は負けじと氷砂糖をボリボリ頬張っていました。甘いものを食べると上手くいくジンクスを感じていたので試験前に糖分を異常に摂取していたのです。昨日までの不安はどこへやら、出所の不明な自信を持ち、氷砂糖に飽き足らず、僕は想い出のチョコレートを何度もなんども食べました。高校の頃の甘ったるい時間も、浪人の苦い時間も、すべて喰らい切ってやったんだ。さあかかってこい東京大学。去年の俺とは訳が違うぞ。無限の自信を一点の集中に変えた時、広い講堂に鐘が鳴って、僕の最後の戦いは始まりました。ちなみにその自信はわずか6時間後、数学の時間に全部消えました。

 

ここから先については、あまりに長くなりすぎるので機会があったら書くことにします。大体ツイッターでつぶやいちゃったし。

 

 

 

  • おわりに

浪人の一年間はトラップのないスゴロクみたいなもんでもあります。模試のマスに止まっても、休日のマスに止まっても、何も起きませんし、勝手に受験の日のマスに止まって勝手にゴールします。1の目だったり6の目だったりする双六をひたすら振りながら進んでいきました。読んでいただいた通り、その途上でどんなに辛いことがあったとしても僕は一度も完全に折れたことはありませんでした(自分で言うの恥ずかしいな)。あるいは誘惑に負けきったこともなかったと思います。どうして浪人したのか、僕はここにいるのか、そんなことを考えて謙虚に浪人したから、高かったプライドを捨て最後まで楽しんで満足できたんだと思います。ただまあ、そりゃいくら面白かったつったって、苦しみなんていくらでもありました。友情・努力・勝利とかじゃないですよ。友達はいたって、家族が支えてくれたって、どこまでも孤独な一年でした。ここで、そんな一年を通して時々思い出した言葉を紹介します。

10年後にはきっと、せめて10年でいいから戻ってやり直したいと思っているのだろう。 今やり直せよ、未来を。 10年後か、20年後か、50年後から戻ってきたんだよ今。

2ちゃんねる屈指の名言です。ときどき合格体験記に「未来のキャンパスライフを思い描いてモチベにしました!」みたいに書いてる人を見ますよね。僕は逆でした。もう一回失敗して自分の中の只一度の敗者復活戦を後悔して終えた10年後の自分とかを思い描いてました。きっといつか、どうしてあのとき頑張らなかったんだろうって日が来る。そう思わないために、いま出来ることは……。そうして僕はいくらでも机に向かうようになりました。

 往往にして「受験に絶対はない」、と言われています。浪人して、自分より圧倒的に成績の良かった、周りからも「絶対」受かると思われていた人が何人も落ちたのを見て改めてそう思います。もちろん絶対落ちたと思っていた自分が受かったのも、またその論拠です。どんなに頑張ったって大学が合格通知をくれる保証はありません。ただ、そうすることで、少しずつ歩み寄っていくことだけは出来ると思います。僕は一年かけて50点上げましたから、一日に上げた点数は単純計算だと0.13点程度です。吹けば飛んで消えてしまうような小さな数字でしょう。でもそれが僕をいま大学にいさしめているのです。それを頑張ったから報われたのだとは全く思いません。そもそも自分で自分が頑張ったと思えません。僕より遥かに汗を流し頭を使い腕を壊し指を震わせ努力をしていた人をいくらも知っているから、頑張ったなんてどうやっても言えません。ただ夢中で駆け抜けてきただけです。皆さんが最後まで無事に駆け抜けられることを祈り、また心から応援します。ここまで長文・駄文を読んでいただきありがとうございました。

 

 

以上