月を旅路の友として

大学生です。旅行記と、140字じゃ収まらないネタと、色々。

さらば東海帝国 名松線リベンジ-3日目(2019/03/25)

朝6時、アラームが鳴るより早く目覚めた。天井は見慣れない白色で、浴衣は肌蹴てむちゃくちゃになっている。そういえば今は三重県の津にいるのだった。旅行して目覚めると時々自分がどこにいるのだか分からなくなることがある。放っておいたらくっつきそうな瞼の中へ目薬を流し込んで二度寝を防いだ。

 

この日の主なイベントは、名松線という鉄道路線に乗ることである。僕はこれの途中の家城から終点の伊勢奥津までを乗ったことがないので、乗っておきたい。それからもう一つ、地元での同級生の集まりに参加することも重要な予定である。シンガポールを南北に縦断する地下鉄を作っていて誰かの青春を乗せるために頑張っているわけでもないので、こちらも是非とも参加したい。なお、現在地から自宅まではおよそ400kmある。果たしてこの両方を達成することができるのか。とりあえずまずは、名松線の方から。

名松線というのは、伊賀の中心地名張と松坂を結ぶはずだったから、両方の頭文字をとって名松線という。はずだった、というのは、別の鉄道路線に先を越されて開通されてしまったので名張まで開通させるのを諦め、途中の伊勢奥津で作るのを止めてしまったからである。伊勢奥津から名張方面へはバスが一日何本か出ているのみであり、後述するが利便性はかけらもないと言っても良い。

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競合した相手は現在の近鉄だった。伊勢奥津より先を国道に沿えば確かに桔梗が丘駅とぶつかる。

雲出川を何度も越える、渓流沿いの超がつくほどのローカル路線である。1980年代初頭に国鉄の持つ路線のうち一定基準の乗車人員を満たさず、バスに転換、即ち廃止が妥当であるとされた「特定地方交通線」のうち、現在もJRが運営を行う唯一の路線でもある。後の路線は殆どが第三セクターの手に渡ったか、地図からその姿を消したかであるのでその貴重ぶりは大変なものであると言えよう。2019年現在、手元にある小さな時刻表において名松線はページの1/4も割かれずにひっそりと掲載されており、1日およそ7往復程度の運転がされている。ちなみに1992年の時刻表も確認してみると、1日9往復が設定されていたようだ。20数年のうちの幾本かの減便は仕方がなかったにせよ、このように平成も終わろうとする年にまさか残っているとはあまり予想もされなかった路線だろう。それはローカル路線がモータリゼーションによって潰える宿命を背負っていたから、という単純な理由ではない。もう一つの理由は、僕がこの路線の家城から先を乗ったことがないのに深く関係している。

今から遡ること10年前の2009年、10月上旬に台風18号が日本に猛烈な勢いを以て上陸し、各所に甚大な被害をもたらした。ちなみにかの伊勢湾台風と同じルートを取ったそうだ。最近災害ばかり起こっているが、この時の土砂崩れの様子が余りに凄惨で僕の記憶に残っている。その台風が直撃した地域に名松線はあり、立地上特に大きな損害を受けた家城から伊勢奥津の間は長期不通となり、バスによる代行輸送が始まった。最近では災害で不通となった大抵の地方路線はバスへと転換してしばらくして、バスでなんとかなるし線路直すお金も手間もないし廃止、というパターンに追いやられることが多い。まして名松線は並大抵のローカル線ではない。被災前のこの区間は一日に100人も乗っていないのだ。莫大な資産を投じて線路を直したところで、儲かる見込みは一切ない。 

しかし沿線自治体は諦めなかった。この辺りのことは「名松線」でググった方が早いので割愛するが、治水治山工事を地元自治体が請け負うなどの合意の上で被災から6年半後の2016年3月のダイヤ改正を期に晴れて運転再開することとなったのである。前回僕がこの路線を訪れたのはまだ高校一年生だった2015年(2015年ってなんだ?まだ恐竜がいた頃だぞ)の暮れのこと。家城から先を乗ろうと思っても乗れなかったのは当然である。というわけで、未乗区間を残したまま3年近くを悶々と過ごした僕は、高校時代の宿題とでもいうか、浪人からの卒業をもって、やり残したこの区間を片付けようと思ったのだった。始点の駅以外他に乗り換える手段のない路線(こういうのを盲腸線と呼ぶ)が中途半端に残っているのは本当に気持ちが悪かった。

 

7往復あるといえど、夜に予定がある以上時間的に早めに乗っておかなくては間に合わない。幸い始発の家城行きは松坂発7時32分であり、家城で伊勢奥津行きに乗り継いで8時59分には終点まで辿り着ける。なお、その次の伊勢奥津行きは松坂9時32分発車なので寝坊すると大変な待ちぼうけを食らったうえ遅刻してしまう。そんなわけでビジネスホテルの朝食無料サービスは開始時間の都合が合わなかったために受けられず、急いで宿を後にした。ベルマートで適当なパンを2、3個選んで松坂へ向かう普通列車へ乗り込んだ。列車は近鉄線と時折競争しながら南へ向かう。

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その途中、面白駅名である阿漕の駅名標を撮影。

アコースティックギターの略称もアコギであるが、この阿漕は阿漕ヶ浦の略称である。現代語における「阿漕」が持つ「強欲」の意は、禁漁区である阿漕ヶ浦で密漁をたびたびして捕らえら海に沈められた漁師の伝説からくるという。阿漕ヶ浦は歌枕でもあるが、よって歌には「度重なった」あるいは「欲深い」などの意味も入ったりする。『いかにせむ阿漕ヶ浦の恨みてもたび重なればかはる契りを(新千載集)』など。なお、秘密のことも度重なればバレるという意味の『阿漕ヶ浦に引く網』ということわざも、もちろんここに由来する。なぜこんなことを知っているかって?浪人中に勉強に疲れると自習室で電子辞書をいじっていたため、歌枕のページは明石から和歌の浦まで全部読んだからである。

松阪駅名松線の2両編成の列車がやってきた。運動部らしくエナメルバッグを背負い込んだ屈強な地元の高校生と、何の団体かは分からないがシニア層がそれぞれ10名ほど乗り込み、思いの外盛況な車内であった。てっきり自分と後2,3人がせいぜいだと思っていたから予想外にもほどがある。ゆっくりと走り出したディーゼルカーの中で、昨日の歩きと早起きとが堪えたのか眠気を抑えられず、家城までは見た車窓だからとボックスシートにうずくまり眠りについた。

快晴の家城駅は、三年前とほとんど何も変わっていなかった。ただ唯一違うことといえば、伊勢奥津行きの車両が反対のホームに止まっていることだろうか。

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踏切内で撮影。

高校生たちはここで降りて高校に向かうようであったが、シニア層とは引き続き伊勢奥津行きでもご一緒することとなった。どこへ行くんだろう?それにしても、前回の来訪時は入ることのできなかった線路が青信号を示しているのを見ると不思議な気持ちになる。

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列車内より撮影。エンディング後に入れるようになるエリアとかって、ワクワクしますよね。

進行方向左側の座席へ腰掛ける。先のシルバー層のおかげでなんとなく賑やかな車内で、まだ見ぬ車窓への期待も高まる。8時25分、列車は定刻通り、3年越しに僕を乗せ動き始めた。

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伊勢湾に注ぐ清流・雲出川を何度も越える。左手にあったかと思えば、右手に現れる。川沿いの鉄道の醍醐味だ。

穏やかな春の日差しを浴びて、通り過ぎていく無人駅や、大きな桜の樹や、エメラルドグリーンの水面、そういった硝子の向こうに流れ消えゆく田園風景に見惚れる幸福な35分である。しかし向かいの道路に痛々しく崩れた箇所があり、未だ通行止めとなっていたのも目に留まった。道路も復旧されれば良いのだが……。あともうひとつ気になることがある。末端区間、と言っては失礼だが、そうであるにも関わらずここは全然揺れないのだ。大体ローカル線は線路保守が大都市近郊に比べ行き届かず、縦にも横にも車両が揺れるものだが、名松線東海道線と同じレベルの静かで滑らかな走りをする。背もたれカバーは所々破れているが、他に汚いという印象も受けない。JR東海の気質というか、新幹線で稼いだマネーというか、こういう行き届きは素晴らしく思う。よく言われるような在来線軽視では決してない。溢れ出る不満は、ただ静岡が横に長過ぎただけなのだ。そうでなければ、ここを復旧しきることは不可能だっただろう。

 

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終点伊勢奥津駅到着。これにて名松線全線乗車。一応津市にあるのだが、駅構内には美杉町や美杉村などと書かれている掲示物もあった。合併の名残だろうが、美杉というのは綺麗な響きがする。そしてそれに見合うかのような清潔感あふれる駅舎である。やけに横に長いと思ったが、住民センターや交流施設が隣接されているようだ。しかし特に何かがあるわけでもなさそうだし、ここで折り返しの時間30分を持て余すのは勿体無い。せっかくだから駅前を少し歩いてみる。だがんなに早い時間に訪れたつもりもなかったのだが人気がなく、やっていそうな雰囲気の店もまだ開けていないようだ。肩透かしを食らったようで、ちょっと凹む。開いていたところで30分で喫茶店を出れる自信もないのでどちらにせよ仕方がない、と心の中で折り合いをつけたが、せっかく来たのだから何か記憶に残ることをしたいな、とも思いながら木造家屋の立ち並ぶ通りを歩いていると、昔ながらの蔵の前に咲いていた下を向いた淡い黄色の可憐な花を見つけた。f:id:hamanasu201re:20190408230300j:plainそう言えば車窓でも時々見かけたので気になっていたが、調べればミツマタという花だという。和紙の原料になるらしい。まだ時間に余裕があるので歩いてみると、極めて細い道の向こうに水の音を感じた。ゆっくり下った先で線路と並行していた川に行きついた。

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まだ小学生だった頃から川の流れを見るのは好きだったが、これほど澄んだ流れを見るのは今までにない経験である。神秘的な碧色で透き通っている。思わず一口飲んでみたくなる衝動に駆られたが、ある種の近づき難さすら感じてやめておいた。駅の方へ引き返す。 

僕は伊勢奥津で折り返すのだが、ここから先を名張方向までバスで抜ける方法はちゃんとある。11時半頃にここを出て、一度別なバス停で乗り換えるものがありこれはなかなか好都合である。逆方向は伊勢奥津発の終電(とは言え18時58分発だが)に乗り継げるよう到着するが、せっかくのここの景色を暗いうちに通り過ぎてしまうのは勿体無いと思う。まだ乗ったことのない路線を暗いうちに乗ってしまうのが嫌いである。ただし、夜行列車はこの上なく好きだ。そういえばバス停が見当たらなかったので探そうと10分ほど駅前をうろちょろ歩き回ってようやくそれらしきものを見つけた。

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やる気がなさすぎる。木に完全に隠れている。そりゃ見つからないわけだ。

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駅構外より撮影。

路線図で見る分には天下の東海帝国にあって地味で目立たぬ存在かもしれないが、思い描いた美しき日本がある、そんな路線だった。今度来るときはじっくりと観光をしながら訪ねたい。そう思い、来た道を確かになぞるように戻る。松坂で駅弁を買い、名古屋行き快速の中で食べる。

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あら竹の元祖牛肉弁当。ちゃんと松坂の牛を使って1000円少しだというのだから驚きである。濃厚なタレのよく絡んだ柔らかな牛肉が大変美味でした。


終着名古屋に着いた後うっかり寝ぼけて岐阜方面のホームに登ってしまい、乗るはずの新快速を逃してしまった。次の新快速は30分後。ここからどんなに18切符で飛ばしたとしても到底地元の集合時間に間に合うはずがない。どうすればいいのか。答えは簡単であり、一つである。

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 新幹線に乗れば良い。

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快適でした。

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終着東京。

未だに市歌を全て歌え、Y150でバカデカいクモに水を掛けられ、横アリで意味不明なダンスを踊らされた根っからの横浜市民である僕はいつも東海道新幹線を新横浜から使っていたため、東京から新横浜の間もJR東海管轄の路線としては乗っておらずかつ攻略に面倒な路線だったので、この機会に乗り潰しておいた。なおこんな遠回りをしても集合時刻には余裕で間に合ってしまう。新幹線は偉大なので。

 

ちなみに、地元の集まりにはちゃんと19時50分の集合に間に合わせたのだが、20分遅刻した者がいたため僕ももう少しゆっくりするべきだったと思ったのだった。5人揃った後、中華料理屋へ行った。

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イヤッッッッホウウウウウ

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イェェェェェェェイ

 

美味しかったです。ごちそうさまでした。