月を旅路の友として

大学生です。旅行記と、140字じゃ収まらないネタと、色々。

今日は定刻通り通過しなかったんだ 名松線リベンジ-1日目(2019/03/23)

三河安城という駅がある。もしあなたがこの駅の名前を知っている、あるいは、どこかで聞いたことがある、というのならば、きっと新幹線でのぞみ号に乗って西に向かう時、こういうアナウンスを聞いたからだ。

「ただいま定刻通りに三河安城を通過いたしました。間も無く名古屋に到着いたします。」

この三河安城という駅は、名古屋の一駅前であるばっかりにいつも通過されることで知名されるという少しかわいそうな駅なのである。ホームに立っていればのぞみやひかりはまるで知らんぷりするかのようにビュンビュン通過していくし、並行する在来線も新幹線の駅のくせに快速が止まらない。駅の中も身が詰まっていない、というべきか、なんだかすかすかした印象を受ける。いつぞや見たテレビの「新幹線の各駅で降りて地元の人にオススメの食事を教えてもらう」という企画では、駅前に人がいなさすぎて2時間地元の人が捕まらなかったという、まあそんな感じの駅である。

しかし僕はこの駅を不遇で質素だと思いこそしても、人生から引き算しようがないいくつかの駅のうちの一つだとも思っている。僕はたぶん三河安城で100回以上降りている。なぜならこの安城は、父の故郷だからだ。

父方の祖母の家はこの三河安城からタクシーに乗ってややする地域に存在する。正月、ゴールデンウィーク、お盆。帰省はいつもここだった。というのも、母方の祖母の家は自宅から車で15分ほどで着くので、帰省という概念がそこにはなかった。生まれた時から今に至るまで、僕はこちらの祖母の家を年に数回かは尋ね続けてきていた。

ここを「祖母の家」と呼ぶのにはワケがある。祖父との思い出は記憶の中にありこそするが、僕が4歳ぐらいの頃に亡くなってしまった。それから我が家は三河にあるあの家のことを「おばあちゃんち」と昔から呼び、それは今でも変わりのないことだった。むしろあの家について祖母を第一印象に持つのは当然なほど、キティちゃんがトレードマークの祖母との思い出はいくらでもある。畑の向かいにある自販機でファンタグレープをいつも買ってもらうこと。むかしリアカーに幼い僕を乗せて家まで運んでくれたこと。いつも美味しい回転寿司屋に連れてってたくさん食べさせてくれること。アイスクリームは口に溶けると水と同じなのでいくらでも食べられるというサンドウィッチマンの先駆けみたいな理論を唱え大量のおやつを僕にくれること。それから……。

ともかく僕にとって、その祖母や叔父の住む遠い愛知にあるあの家は、訪れるたび居心地の良い「安らかなる城」だった。行けば祖母に会える。叔父にも会える。それはかつてあった木造のなんだかいい匂いがして柱時計のうるさい家についても、新しいコンクリートの僕のためだけに存在するようなゲストルームがある家についても、両方である。

しかし高校に上がった頃から、訪問する回数は減っていた。僕は自分での旅行を覚え、いつしか三河安城をのぞみ号で「定刻通り」通過する側の人間になっていた。年に一回か、多くて二回訪れる、そんな年がここのところ続いていた。

今回、無事第一志望の大学に合格したことを報告したいという思いもあり、久々の帰省を父とともにすることにした。かれこれ一年ぶりぐらいの訪問である。電話も掛けていなかったから、本当に久々だと感じられた。祖母に直接報告したかった。

 

2019/03/23

春休み真っ盛り、土曜日午後の新幹線は混み合っていた。まるで冬に逆戻りしたかのような雨降る寒い日であり、午前中には母校でギターを弾いてきた疲れもあって、なんとしても座りたかった。自由席は新横浜に着いた時7割方埋まっていたので窓側は空いているわけもなく、通路側で空いている座席を狙いに行くことにした。どうせつぎの豊橋で降りるのだし、そっちの方が良いだろう。東海道新幹線には二人がけの席と三人がけの席とが一列ずつ並んでいて、こういう時二人がけの方に腰掛けてしまうとなぜだかは分からないが苦痛である。むしろ隣で二人が話してくれてるぐらいがちょうど良い。しかし三人がけも埋まっているところが多かったので、運良く空いていた外国人女性二人が腰掛けている隣の席に出来るだけ申し訳なさそうに座ることにした。ジェスチャーでここに座ってもいいか尋ねる。大丈夫そうだ。NOと言われたら1カ国断交する国が出来るところだったが、安心した。もし何か話しかけられても「I can't speek English well.」でお茶を濁そうと思っていたのだが、道中窓側の方の女性がお手洗いに行きたいらしかった時は、立ち上がるや否や「ゴメンナサイ、トイレ……」とカタコトで言われたので助かった。逆に戻ってきた時には「アリガトウ!」と言われてしまった。断交とかいってすみませんでした。日本楽しんでってください。

時々姿勢を正して視界を高くし、両側の窓に目をやる。東海道新幹線は他の新幹線と比べて優れた景色をその車窓に持つ。例えば熱海近辺で新大阪に向かって左手に見える真っ青な太平洋。それからしばらくして右側に見える富士山。あいにく曇りで山が靄がかっているのは残念であるが、夕焼けの時間に乗るのは記憶する限り初めてのことであり、時折雲の狭間から見えた太陽がオレンジ色に染める街を時速270kmで移動しながら見るのは、新鮮な体験だった。

豊橋駅には6時前に着いた。車両の二、三割は豊橋で降りただろうか。2時間に一本の豊橋に止まるタイプのひかり号だからそうなるのも当然と言えば当然である。しかし下車した人々の大半は名鉄に乗り継ぐのか、伊那路を行くのか、こだま号に乗り換えて三河安城を目指そうとせず肌寒い夕暮れの豊橋駅の出口階段へ吸い込まれて消えていった。ベンチに寂しく腰掛け、こだま669号を僕は待った。

10分ほどの乗車の後、列車は三河安城に停まった。何人かの客がまばらに降り、僕は彼らに従って階段を降りた。改札の向こうには先に行っていた父と叔父が待っていた。

夕飯は安城で有名だという「北京本店」へ連れていってもらった。初耳だし、どんな店なのか全く予想できなかったが、休日なのもあってか40分待ちの盛況であり駐車場は三河以外のナンバーで埋め尽くされていた。なお看板メニューは「北京飯」であり、安城名物と店内のポスターに謳われている。名物が北京でいいのかとも思うが、よく考えると地元の市は一大観光地に中華街を擁しているので僕は文句をつける権利を有していない気もする。

味は寒空の下並ぶだけあってなかなか美味しかった。想像よりボリュームが多く腹一杯になった僕は駅前で捕まえたタクシーに腹を擦りながら乗り込み、夜の町を行くこと20分、一年ぶりに祖母の家へついた。手を洗いコートを掛けてから、僕はすぐ祖母のもとへ向かった。ライターで蝋燭に灯をともす。僕は報告をした。

「おばあちゃん、僕東大に受かったんだ。」

祖母は何も言わなかった。

「東大だけじゃない、早稲田だって三回も受かったんだ、明治も現役と合わせて三回だ。僕は、僕は……。」

祖母はいつまでも笑っていた。

額縁の中で。

「育ててくれてありがとう、ずっと来れなくてごめんなさい……。」

 

祖母は、昨年の今日みたいなひどく冷え込んだ日に、僕の二度の東大受験の結果を知らないまま、この世を去った。

 

祖父もその隣で笑っていた。きちんと報告をした。二人とも僕が東大生になったと知ったらどう思うだろう。驚くかな。笑うかな。喜んでくれるのなら、受験してよかったと思える。線香の匂い漂う部屋を後にして、僕は階段を登り寝室へ向かった。

 

続く