月を旅路の友として

大学生です。旅行記と、140字じゃ収まらないネタと、色々。

山形県でPOSシステムと戦った話

 隣の薬屋には何でも売っている。まあ実際には薬屋じゃなくてどこにでもあるドラッグストアーだし、本当に何でもは売ってないんだけども、便利であることに違いはない。例えば今こうしてソファーベッドに布団を被り寝そべりながらむしゃむしゃと頬張っている韓国のりは、十分前になんとなく食べたくなって五分前にそこで買ってきたものである。昨今の騒ぎで何もかもが自粛する雰囲気にあるのでいくつか楽しみにしていた旅行も中止にしたかさせられるかになったし、不要不急の行為は成る可く控えるべきだそうなので、こうして家で出来る限りの行動を慎んで生きているわけだ。ただし予防には抜かりなく、毎晩必ず喉のアルコール消毒を行っている。5%だったり9%だったりする。

 ……つまるところ、大学一年生の春休みをろくすっぽ家からも出ず人とも会話せず毎晩一人晩酌をしてはあとは寝るだけという、あまりに自堕落な生活を送っているのだ。書いていて全くもって情けない。空しい。しかし外出は控えろという世間だ。全くもって抑圧に等しい。自宅が座敷牢に見えてくる。そういえば前もこんなことがどこかであったなあと、ふた袋目の韓国海苔に手を伸ばし、包装を無造作にビリビリと破いたところで突然記憶がフラッシュバックした。思い返すのも忌々しいことだが、それは大学生もう一つの長期休み、今からちょうど半年前の、夏休みのことだった。

 

 

 空白の一年、浪人とも言うが、高校四年生を送ると言う艱難辛苦の末に大学生になったのは何も僕だけではない。汝を玉としたかどうかはさておき、梅雨時の陰鬱とした雰囲気にも負けずフレッシュな気持ちをまだギリギリなんとか持っていた僕やそのほか友人は、一足早く大学生になっていた同級生たちの夏休みを参考としてどうしてもしなければと心の手帳に書き記し思っていたことがあった。免許合宿である。免許は忙しくならない大学一年のうちに取っておけ、とは元同級生で先輩のありがたい助言である。

 一般常識だとは思うが、普通自動車免許を取得するには付近の教習所に自宅から通う「通い」と、遠隔地の教習所に二週間程度宿泊して取る「合宿」とがある。前者は楽ではあるが、何しろ取得に時間がかかる。知人は二ヶ月か三ヶ月かかっていたし、面倒になって行かなくなって最終的に辞めたやつも知っている。最終学歴:ドライビングスクール中退。その点「合宿」は短期集中で取れるのだから楽なことこの上ない。15日もまとまった日にちが取れるのかと言う問題点は大学一年の長期休みが解決してくれる。気のおけない友人たちと行けば良いし、先の助言をしてくれた友人たちが大部屋を取ってゲームを持ち込み非常に楽しそうにしていたのを見て、浪人していた友達二人と、去年都合で取り損ねた現役二年生一人、しめて四人で行くこととなった。ちなみに申し込みとしては結構遅かったらしく、もう四人で取れるところは二つしかなかった。一つは宮崎で、一つは山形だった。宮崎は遠すぎる。あまりに遠い。それは総意であり、申し込み窓口には山形で、と伝えたのだった。思えばこの時、いやせっかくだから宮崎に行こうと思っていれば、あの戦いは勃発せずに済んだのかもしれない。

 

 米沢は山形南部置賜地方最大の都市にして、江戸の世は上杉氏が治めた歴史深い城下町である。東北自動車道で四時間はかからないし、新幹線は一時間に一本止まるし、福島と山形双方に繋がり、出ようと思えば新潟にも仙台にも出れるような場所である。冬は豪雪地帯として知られるが、夏は涼しいのかというとそうでもなくむしろ暑い。これはかの地が立派な盆地だからである。そういうわけで、昨年夏、僕は米沢駅に半袖シャツ一枚で降り立った。送迎バスがやってきて15分ぐらいで自動車学校に辿り着いた。同じような魂胆の大学生で受付窓口は溢れ返り、まことに煌びやかな髪の色をなされた方々などと一緒くたに大教室に通された。ガイダンスはごく当たり前のことしか聞かれないし、必要事項記入も実に退屈だった。既に原付免許を持っていて違反を取られたことのあるものはいるか、など、そんなやついるわけあるか、と思った途端教官がこちらを見てきて、後ろのやつが手を挙げたことが分かった。本当にいるのかそんなやつ、と思ったが、よく考えたら一つ後ろは同行者だった。教官にクソ呆れられていた。そんな個性あふれる人たちと共にした十六日間の総括としては、二字熟語でいえば地獄である。まあ別に教習所は悪いところではなかった。他の車校に行った人の話を聞けばむしろ待遇は良好だったといえよう。最終的には全員免許も無事取れたし、知る限りでは諍いもなく帰ってこれた。問題なのはただ一つ、宿舎だった。

 ガイダンスの後我々が十六泊する場所が案内された。教習所からほど近く、というか教習所の中にあり、座学や教習の合間にすぐ帰って寝たり自由に時間を潰せるのはいいなと思っていた。そして僕たちは去年の人々の体験を知っているから、そこそこの広間に布団を四枚引いて、テレビにゲーム機を繋げて遊び倒す日々が始まるのだ、風呂だって大きくて綺麗なんだろう、そういうイメージが脳内にこびり付いて剥がれなかった。3分もせず歩くと、中学校の頃林間学校で止まったような施設が目の前に現れて一眼で夢は崩れた。よくわからない鍵を渡されて、二階の一番奥の部屋へ行くように指示される。異変に気付いたのは階段を登り終えた時である。部屋の扉と扉の感覚が明らかにおかしい。少なくとも四人分の布団が並ぶだけの大きさはないし、かと行って外観からして別の軸の方向がそこまで大きかったわけでもない。そして廊下に鎮座する「名前を書くこと」と書かれた冷蔵庫。もう何を意味するかはお分かりだろう?しかし僕は分かりたくもなかった。

 ギチギチに詰められた横幅の狭い二段ベットの、扉に向かって右上が僕の二週間超に渡る定位置となった。冷蔵庫が共用なのは当然部屋が狭いからで、日数分の荷物が入るはずもない駅前のコインロッカー以下の銀色の何かには誰も何も入れようともしなかった。有効スペースはベッドの下とストーブの上と各々のクソ狭いベッド、ただそれだけだった。最悪なのは小さなテレビで、小さいだけならまだよかった。なぜか部屋の壁の異常に上の方にネジで固く取り付けられていたのだ。恐らくは二段ベッドの上段の人が見やすいようにというささやかな配慮なのだろうが、ドライバーを買って取り外してやろうか迷ったほどだ。そんな配慮は要らない。最終的に持ってきたスイッチが宙に浮いて接続される形で解決した。1950年代の街頭テレビさながら、下の段にいるものは僅かなベッドとベッドの間のスペースから上を見上げるようにしてスマブラをすることとなった。首が痛くなったのは言うまでもない。

 淡々と実車教習などは過ぎていく。そのことにはあまり不安などなかった。強いていうならS字・クランクで脱輪しないようにはどうすればいいか、とかは考えたことがあったが、そんなことに脳みそのリソースを使うほどの余裕がなかった。第一の不安は伝染病である。教習が入っている時間以外の全て、つまり一日の二十時間近くはあの監獄みたいな場所で過ごすこととなっていた。僕たちは仮免のことを「仮釈放」とか、卒業のことを「出所」とか呼んだ。異常に固く、背中がバキバキと音を立てて崩れる夢を見るベッドのうち左上にいるやつが最初に体調を崩した。発熱とだるさ、鼻水があった。無事回復したかと思えば次にその真下のやつが具合を悪くした。その次は更に隣の右側下段ので、最後はその上の僕だった。そしてまた隣の左上のやつが悪くした。つまり最悪の衛生状態の中で僕らは風邪をサイクルさせていたのだ。綺麗に円を描くように。そして第二の心配は風呂だった。1日目に風呂を覗きに行ったら、小さな家庭用の風呂には白濁の湖の上をアヒルのソフビが泳いでおり、そこら中髪が浮いていた。以来誰も足を踏み入れようとはしなかった。しかし夏場に風呂に入らないなど言語道断。ましてやここは酷暑の街である。真っ暗な国道を車に怯えながら歩いて三十分のスーパー銭湯に毎日通うこととなった。

 このように最悪の環境に身を置く中で、僕たちは次第に壊れていった。ベッドからコウモリのようにぶら下がったり、なぜか全裸にタオルだけかけてヴィーナスのモノマネをしているやつが部屋にいたり、借金を返さなくなったり、普通に死にかけていたり、隣の部屋に壁ドンしたり、色々である。帰りたくても帰れない、あと何日もあると悲痛な叫びを毎日聞く始末。こんな地獄のような日々のささやかな楽しみは買い出しだった。五分ほど行けば大きめのドラッグストアーがあって、だいたい安くなんでも手に入った。ここでジュースやおやつをスパ銭帰りに寄って選んでいくのだけが生きがいだった。

 ある日僕はそこで無性に韓国海苔が食べたくなった。なんとなく、本当に何の前触れもなく、ふと食べたくなってみたのだ。海苔のコーナーを探してみる。あった。ご丁寧に三種類も置いてある。オーソドックスなやつと、キムチ入りのやつと、ちょっと高いオリーブを使ったやつ。全部3パックひとまとめ。とりあえずオーソドックスなのを一つ買って帰った。

  それから三日後、オーソドックス海苔の棚の奥の方に手を伸ばしても届かなかった。しゃがんで見てみると、売り切れてしまっていた。恐らく最初に買った日に見た分はすべて部屋のゴミ袋に収まってしまったのだろう。この三日で韓国のりにどんどんのめり込み、はまり、一日あたり消費量はみるみるうちに増えていったのだ。胡麻油と塩分への衝動を抑えられなくなっていた。今思えば壊れていたと思うが、当時は無心だった。立ち上がって目線を引くと、他二種類の韓国のりはまだ発見時と陳列が変わっていない。では次はキムチ味を試してみようとなったのは当然の流れだった。

 また三日経って、とうとう韓国のりコーナーは全滅した。キムチ味が二日で、オリーブオイル使用は一日でその姿を消した。最後のパックを手に取りすっからかんの棚を見たとき、ほくそ笑んでいたのを今でも覚えている。勝ったぞ、俺はこの店に勝ったんだ。ざまあみやがれ、たった一人に負けた気分はどうだ、気分爽快で自動ドアから出た。なんて美しい星空だろう。殲滅戦に鮮やかに勝利した僕を祝福しているかのようだと思った。振り返るとやはり壊れていたのだと思う。

 翌日、用もないのに空きコマに例のドラッグストアーに足を運んだ。どうしても見たかったのだ。僕が挙げた素晴らしい戦果であるあのがらんどうの商品棚を、じっくりと眺めていたかったのだ。そういえば感慨のあまりまだ写真を撮っていなかった。この手で未来永劫その姿を残してやろうと、もう足で覚えてしまった売り場まで一直線で進んだ。そこで僕が目にしたのは、あまりに衝撃的な光景だった。

 全三種類の韓国海苔が、棚からはみ出さんばかりにパンパンに詰め込まれているのだ。急いで確認すると向かいの棚に接する奥の方までみっちりと詰め込まれていて、とても最初に見た日とは違う光景だ。例えるならうり坊が成長して逞しい害獣猪になったような、恐ろしさも感じる鬼の如き陳列。一体誰がこんなことを?えげつなさすぎる、人の心を持つ奴にはとても出来る所業じゃねえ……。待てよ、人の心?呆然と売り場に立ち尽くす僕はふと思い当たる節があった。中学時代の社会の授業で習ったアレだ、あいつのせいだ。むしろこんなことをできるなら、あいつしかいない。それの名前をPOSシステムという。

 POSシステムは、正式名称を販売時点情報管理という。かいつまんで説明すると、その名の通り販売された時点で、つまりバーコードをレジで読み取った瞬間、どの品物が(場合によっては性別や年齢などを入力して)どういう人から売れたのかという情報が記録・管理され、その膨大なデータに基づいてその時に合わせた在庫の管理・売れ筋の把握を行い、正確かつ的確な発注ができる……というわけだ。現代の小売業には欠かせない大変便利なシステムである。しかし僕はこのシステムに挑戦状を叩きつけてしまったことになる。この機械には、毎日「二十代男性が韓国海苔を夜九時過ぎに複数個買っていく」というデータが蓄積され続けた結果、韓国海苔が「売れ筋・流行商品」であるという結論を導き出し、発注担当にそれが伝わり、最終的に異常な量の韓国海苔が発注された訳である。実際にはただ一人が毎日韓国海苔を買っただけなので流行もクソもないのだが。

 しかし現実として発注の通り海苔はこうして届き、僕の前ではち切れんばかりになっていた。ちょうど免許合宿も折り返し地点を少し過ぎたところ、ここで受けた戦いで勝利したいという気持ちが芽生えてきた。だいたい僕は自分の見たい光景をこいつに全くもってぶち壊しにされたのだ。許すまじ。人間としてPOSシステムに負けるわけにはいかない。ルールは簡単、僕の免許合宿が終わる前に、僕がこの店の韓国海苔を根絶やしにすれば僕の勝ち、逆に在庫の防衛に成功すればこの店、ひいてはPOSシステムの勝ちである。ただし買った海苔は次の来店までに食べきっていなければならない。そうでなくてはフェアでない。陽炎揺らめくあの夏、絶対に負けられない戦いがそこにはあった。

 無事仮免許を取得し路上教習が始まり、代わりに座学の授業がどんどん減ったことで暇な時間は増え、必然的に退屈な時間に食べていた韓国海苔の消費量も増えた。スマブラスマブラ、海苔、スマブラ、海苔、海苔、スマブラ。そんな毎日。異常発注はやはり並大抵の量ではなく、食べても食べても棚から減る兆しが見えなかった。路駐が出来るようになっても、一通の注意の仕方を学んでも、やはり韓国海苔はあまり減らなかった。米沢牛や赤湯ラーメンより、海苔の味のことをよく覚えている。しかし僕は食べるのを決してやめようとはしなかった。

 最終日前日、ようやく明日で免許合宿もおしまいだという日まで来た。仲間はよく耐えた、頑張った、などと各々の健闘を称えあっていた。僕も自分の大健闘を一人自分で褒めていた。昨日、あの店には王手をかけておいた。恐らく今日の買い出しで全ての海苔を買い終わり、食べ終わることだろう。長かった免許合宿、長かった海苔生活、ようやく明日で終わる。もう終わりにしよう、こんな戦い、なあ、お前も疲れただろう。店は頼りない照明をチカチカさせていた。それが返事か。そうだよな、この試合終わったらゆっくり休もうや。昨日の僕の攻撃でもうオリーブオイル入りのやつが四パック、ただそれだけしかないはずだった。終わりにしよう。もうこれで最後だと思うとなんだか切ない。そう思えるほどの足繁く通ったコーナーに行った。めちゃくちゃ韓国海苔が入荷してた。僕は敗けた。 

 

 

 振り返ってみて、夏休みの二週間を自分がいかに無駄に過ごしていたのか気味が悪くなってきた。結局免許が取れたからよかったものの、僕は海苔を食べに行ったのか免許を取りに行ったんだか分からない毎日を過ごしていたらしい。どうしてあんなに海苔を食べようとしたんだろう。三パック目を食べて飽きたお徳用の海苔をおやつの箱に入れながら思う。多分だけど、救われたかったんじゃないだろうか。何か、何処へも逃げられない日々のなかで、熱中して、地獄から気を紛らわすことを見つけたかったんじゃないだろうか。今の毎日もあの頃と同じ気がする。だからこんなしょうもないことを思い出した。何もすることがなくて、退屈で、しようとしても出来なくて、失われて、そんな日が続いていく。だから、いや、そんな日だからこそ、とんでもなくくだらないことを初めてみてもいいんじゃないだろうか。普通の日に人間はPOSシステムと競争しようとは思わない。やろうともしないだろう。でもあの日々は普通じゃなかったからそういうことが出来た。こんな日々でしか出来ないことが何かあるかもしれない、と思う。再びおやつ箱へ行って戻したはずの4袋目を取り出した。今度は隣の薬屋と、三度目の競争してみることにした。