月を旅路の友として

大学生です。旅行記と、140字じゃ収まらないネタと、色々。

「光の鍋」を作った話

 今年も長い冬がやってきた。悴んだ指先を去年と同じようにポケットにほうり込んでため息をつくとオリオンの浮かぶ夜空に白い雲が流れた。心許ない間隔の街頭が照らす家路を急げば、辺りの家々から夕飯のいい香りが漂ってくる。こうも冷え込むと暖かい家の晩御飯は何より嬉しいものだ。そう、冬と言えば。アツアツのおでん、シチュー、蟹料理、炬燵で食べる蜜柑、背徳の雪見大福___この時期に食べるべきものは数えればキリがない。しかしどうしてもこれだけは忘れてはいけないというものがある。鍋だ。鍋は至高だ。同じ鍋に入った具材をみんなで好きなだけ好きなように突き、家族団欒、友人との親睦の時を豊かなものにしてくれる。最近は鍋のバリエーションも多いし、バラエティ番組で取り上げられたりしてそういやそろそろちょっと鍋食べたいな、という気持ちを掻き立てられることもシーズンに一度や二度ではない。

 そんな素晴らしい存在である鍋に最悪の具材をブチ込んでいく闇鍋という存在は僕にとって非常に許し難いものであった。第一、食材を無駄にするのが大嫌いなのだ。どうせ作ったって「食えねえwwwwww」と言ってその大半を捨てるのがオチなら最初から作るんじゃねえ、と声を大にして言いたい。しかし悲しいかな今日もどこかで闇鍋は作られているのだ。怒りがふつふつと湧いてきた。このやり場のない怒りはどう鍋にぶつけていいのか、そう思ってふと思いついた。

 

 つまり、闇の逆。カウンターパート。光の鍋は、絶対に美味しいと思う具材だけを入れて最高の鍋を作るのだ。全員が理想を叶える、夢のような鍋。しかしその最大のキモは、「読み合い」にある。

 そう。もし全員が全員、お互いの性格や心を完璧に読み合い、「あいつは肉を入れるだろうから俺は豆腐だ」とか、「どうせ他の奴は具材しか持ってこない。ここは鍋の素を俺が入れねばならん」とか、そういう気配りをしないとダメなのだ。

全員玄人ぶって味が染み込む具材しか持ってこなかったら出汁もクソもないものが完成するし、我が強すぎて鍋の素ばかり持った奴が出てきても最悪のキムチ胡麻味噌レモン醤油鍋とかになりかねないのだ。

合成の誤謬(ごうせいのごびゅう、: fallacy of composition)とは、ミクロの視点では正しいことでも、それが合成されたマクロ(集計量)の世界では、必ずしも意図しない結果が生じることを指す経済学の用語。何かの問題解決にあたり、一人ひとりが正しいとされる行動をとったとしても、全員が同じ行動を実行したことで想定と逆に思わぬ悪い結果を招いてしまう事例などを指す。』

合成の誤謬 - Wikipedia

完全にこれになってしまう。

 

一応リスクに見合ったメリットもあって、上手く完成した場合各々の個性や人間性、好みをより深く知り、完璧な鍋を作ることが出来、みんなが一丸となって作った鍋であったまることができるのだ。最早鍋奉行などいらない。民衆一人一人が己が手で鍋自治をすれば、口うるさい奉行などに縛られず自由な鍋を作ることができる。__鍋新時代の到来、そのために重要なのは何より人選である。こういう時にふざけて闇鍋まがいのことをしてしまう奴は何をやってもダメだ。そういう奴は人の唐揚げに勝手にレモン絞るし、電車の席を一人で1.3人分使うし、自販機の缶専用のゴミ箱にビニール袋とか平然と捨てるし、漫画村で漫画読んでるのに開き直るし、借りたゲームカセットに自分の名前書いて売るし、ともかくダメだ。真剣に鍋を作ろうという気概がありそうな友人をピックアップして連絡した。というわけで以下が今回の光の鍋のメンバーである。

 

筆者(はまなす)……料理の経験ゼロ。最近行った調理はチキンラーメンににんにくチューブと豆板醤を入れたこと。

D……暇そうなので呼んだ。以前の記事でDJになった男。最近女児アニメのキャプチャ画像でしか返信できない重病にかかった。顔が八割織田信成

R……知り合いの男性の中で一番料理が出来るので呼んだ。監督者としての役割を期待。鍋ゼクティブアドバイザー。顔が半分ぐらい星野源

K……Rと同様、生活力が高そうなので呼んだ。お尻がやわらかい。似てる芸能人はすぐには思い付かないけどまあまあかっこいい。

J……あだ名がジャガイモなので呼んだ。日本産。男爵っぽい。遺伝子組み換えでない。食材。顔が百パーセントジャガイモ。

ろくな友達がいないということがよくわかった。年末の心寂しい時期に野郎が五人も集まって鍋を突き合うというのは絵面が最悪だが、高校同期の勝手知ったる仲で最高の鍋を作っていきたい。

 

実施にあたって、予めレギュレーションを決めておいた。今回は三回鍋を作る。各回共通の主なルールは次の通りである。

・それぞれの鍋に対して一人は二回まで具材を投入できる

・すべての具材は必ず「各々が鍋に入れたら理想の鍋となりおいしくなるに決まっていると考えた素材」でなくてはならない。また鍋にテーマが設定されている場合それに沿う必要がある。例えば、チョコレート、鉄アレイ、土、犬などはいれてはならない。鶏白湯スープにありったけのキムチを入れてキムチ鍋に上書き保存することなども許されない。

・計六つの具材を用意することになるが、集合時点でどの鍋にどの具材を入れるかは必ず決めておく。他の人の具材の出し方で様子を疑い出す具材を変更することは許されない。

・極端に苦手なもの、アレルギーなどは事前申告する。

 

十二月某日、渋谷のあるキッチンつきのレンタルスペースに「理想の鍋」を求め最高の具材を持ち寄った五人が集まった。


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ちなみにハチ公前集合にしたのですが、レジ袋からネギがはみ出ているので「近所のスーパーから帰る途中で突然スクランブル交差点にワープしてしまった人」みたいになってしまいました。


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レンタルスペース。オシャンな空間で、ボドゲやスイッチなども置いてあるが、今回はキッチンに集中する。

では早速作っていこう。

 

第一回戦:鶏白油ベース

 一回戦と二回戦はあらかじめ鍋のテーマを指定しておいた。これはメンバーがチキって三回全ての鍋に素を投入しないことを恐れたためである。

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ど正論である

というわけでまずは鍋の素を考えてみた。

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なんでこんなにやる気に満ち溢れてるの??

レジ袋からがさごそと各々食材を選んで、テーブルに置いていく。1回目に集まった具材たちは以下の通り。

水餃子、鱈、鶏もも、きりたんぽ、豚バラ、若鶏刻み、白菜、野菜炒め、豆腐、椎茸

「野菜少なくね?」

誰かが言って気づいた。明らかに、バランスが肉や炭水化物の方向に傾いている。普通肉というのは鍋に占める比率が小さいからそのありがたみに気づくのであって、肉をバラまいてしまえばそのありがたみは減り、肉の価値が相対的に下がってしまう。肉インフレだ。パピエルマルクやジンバブエドルと同じ末路を肉が辿ることになる。

しかしなぜこのような悲劇が起こってしまったのか?そもそも僕が肉を多めに買ってきた理由は、前日の何気ないLINEでの会話であった。

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こいつら、大学生なので金がないのである。金がないということは、つまり数ある具材の中でも高めである肉を買ってくる可能性は低いと読める。どうせモヤシとか買ってきてお茶を濁しに濁して懐を温存させるに決まっている。ここで僕がモヤシを買ってきたら、救いようがないモヤシ鍋になってしまう。それは避けたい。主催者として、ここは僕が肉を買わねば___________そう思っていた時期が僕にもありました。

結果として、皆他人が肉を買ってこないことを恐れ肉を確保する安全策に走ったのであった。

「だってさ、肉食いたいじゃん。」

忘れていたが、男子大学生はみんな肉が食べたい生き物なのだ。

出揃った具材たちの下拵えを済ませたところで、素を入れた鍋に野菜たちから投入していく。しかし目にしたものは、想像から遥かにかけ離れた物体だった。


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僕「ラーメン二郎じゃん」

なんで?鍋を作ろうとして、しっかり補助輪として素を入れたはずなのに、白菜と椎茸の時点で既に鶏白湯は見えなくなり、Kの野菜炒めセットを投入しただけでヤサイマシマシにしか見えなくなってしまった。何これ?俺は鍋が作りたかったんだよ。補助輪どこ?三輪車が勝手に爆走を始めてしまった。どうして二郎食わなくちゃいけないんだ。そもそも、野菜は少なかったはずでは……?と思って気づいた。普通家で鍋を作るときは具材は袋から適当な量を選んで入れて残りは冷蔵庫にでも入れておける。しかし僕たちはそんなことは一切考えていない。宵越しの具材は持たぬと言わんばかりに、スーパーで売っていた白菜1/4片とA4大はある袋に詰められた野菜炒めセットをありったけ全部ぶち込んだ。結果として、異常とも呼べる量の野菜が投入されてしまったのだ。もはや笑うしかなくなっていたところにある言葉が場に流れた。

K「天地返し必要じゃね?」

ラーメン二郎でヤサイを多めに頼んだ場合必須と言っても過言ではないのが「天地返し」と呼ばれるスキルである。

二郎系でヤサイをマシた場合、大概スープの中に麺が完全にインしてしまい、逆ラピュタみたいな形のヤサイが波波注がれた汁の上に山をなしている。これではヤサイを食べている間に下で麺が伸びきってしまい、ただでさえ多い量を余計に増やしてしまうことになる。ヤサイを下に、麺を上に、つまり提供時と逆向きに回転させることでこのような事態を避ける、これが天地返しである。今回の場合においては野菜以外の新たな具材を投入してなんとか鍋としての面目を保たせてやるという程度の意味合いでしかないが、そんな悪あがきみたいなことが成立するのか?ええい、ままよ!全部ぶち込んで蓋をした。いい感じかな?と思ったタイミングで開けてみる。暖かい湯気がもわっと立って食欲をそそる。問題は顔を覗き込ませたその後だ。


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ビジュアルが最悪である。真っ白。彩りとかガン無視。天地返しを生き残り申し訳程度に姿を現しているニンジンの欠片達が辛うじてこの写真をモノクロ写真でないと証明してくれている。しかし作ってしまったものは仕方がない。取り分けていく。皿に入れてもなお、ゴミの寄せ集めみたいな見た目に変わりはない。恐る恐る箸を口に運んだ。

 

 

 

 

 

 

「うまい。」

なぜかは知らないが、奇跡的に美味いのである。どの具材も他の具材を邪魔せず、かつ消えず、絶妙なバランスを保ちながら味が染みていて抜群に美味い。各々に笑顔が浮かび始めた。

R「水餃子持ってきたの誰?」

筆者「俺だけど」

R「これ美味いわ」

などといったコミュニケーションがあって場も不思議と温まる。お互いのセンスの良さが素晴らしい鍋を生んだのだ。光鍋、最高か?二つ目いってみよう。

 

 

 

第二回戦:あごだし

談笑のなかにひと悶着があった。

「誰かモツ持ってきたやついねえのかよ」

もつ、とは言い換えればホルモンのことで、専ら聞くのは「もつ鍋」である。確か福岡あたりが発祥の料理だったと思うが、今はもはや全国区のポピュラーな鍋として親しまれているから「もつ」を持ってきた人がいてもおかしくはない。だが、もし「もつ」を入れたら、例え美味しかったとしてもその鍋は一瞬で「もつ鍋」になってしまう。「もつ」をこの場で出すというのは、そういうリスキーで大胆な行動である、というのが各々の共通理解となった。

「お前モツ持ってきてたりしない?」

急な腹の探り合いが始まった。思わず生唾を飲み込む。

「持ってきてないけど……」

「お前さ、ジャガイモ持ってきてんじゃねえの」

あだ名がジャガイモだからジャガイモを持ってきたのではないか、というしょうもない矛先がJに向かう。Jは否定した。レジ袋の中身を推測し責め合う。先ほどの誉め合いとは真逆の心理戦が繰り広げられてしまった。これは光鍋の弊害である。

 

1回目の鍋を片すとすぐにテーブルに2回目の具材の集合合図がかかった。またも10種の具材が卓上に出揃う。

鰤、鱈、白菜、豆腐、ネギ、シャウエッセン、まだら白子、肉団子、餃子の皮、マッシュルーム

「だからさあ、野菜が少ねえんだよ」

もはや野菜と呼べるものは白菜とネギだけだし、というか白菜はさっきも食った。こうなってくるとあの二郎みたいだった野菜炒めセットが神に見えてくる。どうしてこうもタンパク質ばかりが揃ってしまうのだろう?逆になぜ野菜を持ってこなかったのかを聞いてみると、「かぶりが怖かった」「白菜なんて絶対誰か持ってきてる」とのことだった。まあ確かにここまでの二回とも白菜は入っているし、もし他の誰かがまだ白菜を持ってきていたとしたなら白菜まみれの鍋が出来ていただろうからその点ではある種絶妙なバランスにたっているのかもしれない、しかしだからといって全員が他の野菜を買おうともしないという同じ行動をとった結果、こんなガキが好きなもの全部ぶちこみましたみたいな鍋になってしまったのだ。ダブルチーズバーガーとポテトとコーラとかじゃなくて、ダブルチーズバーガービッグマックフィレオフィッシュでセットを頼んでるようなものだ。助演男優賞該当者なし。しかも今回は一回戦よりも各々の個性が強い、そういう目立つのが揃っている。桜井和寿しかいないミスチル、四人とも宮本浩次で出来たエレカシ、全員草野マサムネスピッツ______そんなものが存在してたまるか。主役不在とかではなく、主役しかいないのだ。近頃は「どうしてうちの子が『木』の役なの?!」と文句をつけてくる親のせいで全員桃太郎だったり全員兵十だったり全員豆太だったりする学芸会もあるらしいが、そういう劇が散漫でまとまりなく元のテーマを台無しにしてしまうようにこの鍋もなってしまうのではないか。ていうか全員豆太ってなんだよ。誰が豆太を夜小便に連れてくんだよ。
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さっきよりも余計ビジュアルが劣悪になってしまった。無茶苦茶に茶色い。肉団子とソーセージに鍋が支配されて鍋に暗黒時代が訪れた。恐る恐る、探さないと野菜が出てこない鍋から掬いとる。……いただきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うまい」

ここまでくるとどうして美味しくなるのか分からなくなってきた。白子が付着したソーセージとか、餃子の皮にくっついた鱈とか、たぶん一生食わない組み合わせが取り皿に存在しているのだが、これが食べてみるとはちゃめちゃに美味しいのだ。「白子、『正解』だねえ」「ソーセージ結構いけんじゃん」などなど、またも誉め合いが発生する。いとも容易く鍋は空になってしまった。レンタルスペースの終了時間までまだ余裕があるので、少し休憩をおいてから最後の戦いに赴く。

 

第三回戦:無制限

流石にもう一人立ちの時期だ。僕たちは完全にゼロから、自ら、己が手で仲間を信頼して鍋を作っていくところまで来たのだ。もう既に酔っていたので皆が何を入れたのか記録を取るのを完璧に忘れてしまったのだが、幸い鍋キューブを持ってきた人間(救世主)が一人だけいたので間一髪のところで味がなくなることは避けられた。他に「素」系を持ってこなかった人間が一人もいなかったのは奇跡だった。しかし奇跡を前にして運命は無情にも牙を向く。

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汚い。絶望的に汚い。三角コーナーをそのまま鍋にしましたみたいな、一回戦と二回戦の鍋が美しいと錯覚するレベルの汚さ。テーマを設けないだけで方向性がてんでバラバラに散ってしまった。最後まで野菜は殆ど入らなかった。汚いけど、汚いけど結果はわかっている。もう僕たちは学習している。どうせこれも美味しいのだ。この三回の鍋作りを通して理解したのだ。いかに鍋というものは懐が広く、すべてを受け入れ、優しく包み込み、素晴らしいものにしてくれるのか。たぶん光鍋を不味く作ることは不可能だ。鍋は僕たちのこんなおふざけじみたことを全て許して、美味しく作ってくれる。

僕は、鍋のような人間になりたい。ほら、この月曜日に捨ててきたゴミ袋の中身みたいな鍋だって、こんなにも美味しいじゃないか______。唯一の失敗は、質ではなく量だった。全員鍋の味に目が向いていて、誰一人として鍋の量を考えてさえいなかった。回りを見渡しても誰もが食った食ったと言わんばかりの満足感、否、それを通り越してもう無理です、1mmも動けません、という限界の色を示していた。レジ袋五袋をパンパンにした具材を五で割った鍋を腹に入れたらレジ袋一袋分が収まるという至極当然の算数の結果も出来なかった結末だ。でもいいじゃないか。楽しかったじゃないか。鍋のごとく、おおらかで、広々とした、なんというかな、泰然自若というか、そういう心で僕は生きていきたい。

 

「もう腹一杯なんだけど」

「動けねえ」

「あんなバカみたいな量調理するからだろ」

「誰だよ三回目やろうつったやつ」

「は?」

「二回目でやめときゃよかったつってたじゃん」

「しょうがねえだろ具材残ってんだから」

「おい何酔っぱらってんだよ」

「いや酔ってねえから」

「酔ってんだよお前は」

「片付けだるくね?」

「片付けってすんの?」

「誰か片付けやってくんね?」

「お前やれよ」

「お前もやるんだよ」

 

鍋のようになるには、まだまだ時間がかかりそうです。